2014年11月15日土曜日

[NYへの旅] 20.MoMA(近代美術館)へ

10日目  3月25日(月)

ロングアイランドでは多彩な出来事の連続で、自覚していなかったがいささか緊張したらしい。2人だけになったら気が抜けてしまった。
今朝、目覚めると8時過ぎ。「こ〜れは寝過ぎた、しくじったあ〜」と鼻歌交じりで起き出すが、何も慌てることはない。熟睡して、気分はすこぶる爽快だ。

ゆっくりと朝食をし、ホテルのインターネット環境がよいので、午前中は、昨日までに溜まってしまったメールや、ブログを書く。
朝から雨が降ったり止んだりで、夜には雪になるとの予報は、観光には有り難くない。天気の影響のなさそうなMoMAを訪れることにする。

12時半頃、ホテルの受付に鍵を預けると、熟年男性の受付が「昨日のあなた(夫)の抗議を横で眺めていましたよ」とにこやかに言う。だいぶ粘ったからなあ。
滞在中は、他のホテルマンにも顔を覚えられて、何かと話しかけられる。夫は理不尽だと一歩も引かず自己主張をするし、次第に声が大きくなる。これじゃ目立つわけだ。

MoMAの入口には長い行列ができ、混雑している。行列の最後まで辿ると、3人縦列で2ブロックもの長蛇だ。明日は休館日だし、春休み中だし、天気が悪いから美術館にしようと考える観光客が押しかけているらしい。
夫は「これじゃ時間の無駄になるね。日本の美術館と同じ混雑はごめんだよ。昼食を先にしよう。ロックフェラー・センターが近いから、そこのカフェにしよう」と諦めが早い。

ロックフェラー・センター広場は、春から秋にかけては日除けのパラソルが並ぶオープンカフェに、寒い季節にはアイス・スケート・リンクになる。
クリスマスの頃、巨大な樅の木が飾られるのを家族で眺めた・・・。
ずっと以前(40年になる!)、ここでヒルダガードと待ち合わせ、食事をしながら深刻な話もした。
季節毎の数々の追憶が不意に甦り「また訪れることができたなんて・・・」と、感慨深い。

屋内からスケート・リンクが眺められる「ロック・センター・カフェ」に落ち着く。今日のスープ、フィッシュ&チップス、野菜サラダを注文し、ビール(サムエル・アダムス)で乾杯。温かいスープが美味しい。

目の前で、たくさんの人が滑っている。小学生くらいの子どもが半分、10代の若者と熟年・老人があとの半分といったところだろうか。
外側では、バーを掴みながら倒れない努力をしている子どもとコツを教える親たち。その内側には、スイスイと気持ちよく滑ったり、スピードを競っているグループがいる。中央では、格好をつけて得意気にフィギュアを演じているそう若くはない人たちがチラホラ。動きが滑らかでないので「おや、おや・・・」と笑いを誘う。30分単位に入れ替わり、しばしの休憩中に、リンクのコンディションを整えている。

食事を終え、諦めきれないのでもう1度、MoMAに出かけることにした。
行列は短くなっていた。それでも30分待って2時45分に入場し、5時半の閉館まで、お目当ての画家の部屋を大急ぎで辿った。
アンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」が見当たらない。アメリカの原風景や心象を思わせる静かな絵を描いて好きな画家だ。諦めたときに、エスカレーター脇の目立たない場所に移されているのを発見し、その前にぼんやりと座り込んでいる若者を見ながら、「冷遇されているなあ」とがっかり。

閉館時の混雑には驚いた。日本のラッシュアワーの電車の混みようと同じで、館内から一斉に出てくる人々の流れは、自分の意思とは異なる動きになっている。転んだら事故に繋がるだろうとこわい。おまけに、絵の前からなかなか動かない人々を、館員が必死になって追い出している。混雑に巻き込まれ、もがくようにして、やっと外に出た。
 
ホテルに戻ってすぐ、ヒルダガードお薦めのレストラン「La Masseria」に、予約の電話をする。明晩ミュージカルを観るので、プレシアターの夕食を5時にしたいからだ。

7時半、今晩の食事は「SPARKS STEAK HOUSE」に出かけた。
室内に入ると、コロニアル・スタイルのマホガニー色のテーブルと椅子が、目に飛び込む。植民時代を偲ばせる装飾の数々。カジュアルな雰囲気だが格式があるらしく、ネクタイを締め、着飾った婦人が多い。アメリカらしい夜の社交が健在だと感じた。
私たちは、フィレステーキ、ポテトのオーブン焼き、野菜サラダとシンプルな料理を注文。量がたっぷりして持て余したが、久しぶりに美味しい肉を味わった。因みに私は疲れると、無性にビフテキが恋しくなる!

ホテルに戻ったのは10時頃。インターネットをチェックし、1日が終わった。

[NYへの旅] 19. ニューヨークへの移動はバスで

9日目  3月24日(日)
ヒルダガードの車で、リバーヘッドにあるニューヨーク市行のバス停留所へ向かう。およそ15分。移動には絶好の日和で、風がなく暖かい。ロングアイランド滞在中の寒さを置いて行く感じだ。

バス停留所前の道路を挟んだ向かい側に、「テンガー・モール」というショッピング・センターができている。「まとめての買い物ができるので便利よ。クリスマスの準備に、わざわざニューヨークへ出かけなくてもいいし、変化の少ない地域でもこうした施設ができて、暮らしには助かるわ」とヒルダガードが言う。

定刻10時45分ぴったりに、高速バスが来た。最近日本でも普及している目的地別の高速バスと同じだ。ほとんど席はふさがっていたので、夫とは通路を挟んで斜めの席に別々に座った。
乗車後すぐに、車掌(黒人女性)が来て運賃の支払いをした。1人22ドル也。ほとんどの乗客がクレジットカードを利用するから時間がかかる。
車掌は見事な巨体で、やっと通路をすり抜けている。圧倒されて、思わずお尻を見上げてしまった。
集金が終わると車掌の次の仕事は、「マッフィン、チョコレート・バーの他に、水とオレンジジュースを希望者に配ります。無料です」と言う。大きな箱を肩から下げてやって来る。「いる?」と聞く声が可愛い!
オレンジジュースを取り、早速飲むとじつに美味しい。説明を読むと、USA、ブラジル、メキシコ、コスタリカ、ベルゼー産のオレンジを原料にした100%ピュアジュースとある。
隣りに座っている若い女性が、窮屈そうに脚をあげ、踝に絆創膏を貼って手当てを始める。アメリカ人には、若い頃から脚のトラブルを抱えている人が多い気がする。細い脚に対して体重の割合が多いのだろうか。彼女はその予備軍だと想像する。

マンハッタンまで数カ所停車し、乗客が次々と降りて行く。
私たちは51丁目で下車し、ワンブロック先のホテルへ。タクシーを利用するにはあまりにも近いので、勝手に向きを変えるスーツケースと格闘しながら歩く。いずこの都会の通りは、段差が多いのが難点だ。

さて、ホテルは、街の中心部にある「パレスホテル」で、日本から予約した。「目の前のセント・パトリック寺院裏が見える部屋」と注文もつけた。寺院そのものが観光名所で、滞在中、部屋から眺める楽しさを考えたからだ。もちろんホテルがニューヨーク市内の観光にとても便利ということもある。
チェック・インには早いので、とりあえずスーツケースを預けることにし、念のため、「希望の部屋になるでしょうね」とたずねる。宿泊台帳を確かめた若い男性の受付は、「予約はありますが、部屋の注文はありません」とつれない。夫はインターネットでの予約のコピーを取り出し、次第に大声になって一悶着。
受付が「チェック・インまでに、調べておきます」と言うので、身軽になって、昼食と街の探検に出かけた。

今日は棕櫚の聖日。セント・パトリック寺院(注)のミサを終えた信者が、棕櫚の葉を捧げ持って、正面の出入口から出てくる。その群れに逆らうようにして、寺院内に入り一巡すると、次のミサが始まった。しばらく様子をみたが場違いの雰囲気で、ステンド・グラスなどをゆっくり見ることができない。「今日は無理だ。いずれにしよう」と外へ出た。陽の光が降り注いで眩しいが、太陽の周りには虹がかかっている。雨が降っていないのに不思議・・・。

(注)セント・パトリック寺院・・・カトリックのアイルランドの守護聖人パトリックをまつった寺院で、1858年に着工し、1878年に一応できた。現在の高さ100メートルの尖塔とマリア聖堂の荘厳な姿は、1908年に完成。アメリカ最大のゴシック建築で、直径が8メートルのステンド・グラスのバラ窓は、何度眺めても素晴らしい。祭壇を設計したのはアメリカのガラス工芸家L.C.ティファニー(1848〜1933)。蛇足だが、彼の父親は貴金属会社”ティファニー”を設立した人。
毎年3月17日は「セント・パトリック・デイ」で、五番街で大パレードが行われる。以前、「この日はみんなアイルランド人よ・・・」とミドリ色の物を身につけて、パレードの華やぎに加わり、家族で楽しんだ思い出がある。

近くの軽食店「HEAVEN」に入り、遅い昼食。チキンカツとスープを頼み、ニューヨーク市観光第一歩をビールで乾杯。そう若くはないウエイトレスが、鳥のさえずりのようなハイオクターブの声で注文をとった。バスの車掌もそうだったが、サービス業に携わる女性には、ソプラノで話す人が多いのか・・・。

その後、グランド・セントラル駅の高い天井を見上げ、近辺を歩く。

3時15分頃、ホテルにチェックイン。受付の男性は、セント・パトリック寺院裏に面した部屋(1518号室)に変更し、「1ランク上の部屋ですが、料金は申し込みのときと同じです」と勿体をつける。夫の抗議が役に立った。

部屋に落ち着き、シャワーを浴び、洗濯を少々。
バスの移動があったし、草臥れて再び外出する気力がない。「明日からの余力を残さなくっちゃ・・・」と持参の日本食を食べ、休息の夜を迎える。
こんなとき「年齢には争えないな」と、しみじみ思う。

2014年11月12日水曜日

[NYへの旅] 18.マルゴーの100歳誕生パーティー

8日目  3月23日(土)

昨夜は遅くなって、「朝食は9時にしましょう」と言いながら寝たのに、5時前に目覚めた。「2時間ちょっとしか寝ていない。二度寝は危ないし・・・」とブツブツ言いながら、起きだす。シャワーを浴び、メールをチェックし、大まかに荷物のパッキングも済ませた。マルゴーの100歳誕生パーティに出席して、明日はニューヨークへ移動する予定だ。「速かった・・・」と、数日の出来事を振り返る。

トーマスとフェイも誕生パーティに参加することになり、彼らをピックアップするために、1時にクラウディア夫妻と落ちあった。
夫のフィリップは、ヒルダガードの家の増改築をした建築家。妻のクラウディアは、私たちがケネディ国際空港に到着したときに迎えてくれ、ヒルダガード宅までドライブしてくれた。そのことは、すでに書いた(NYへの旅  3 参照)。

マルゴーの100歳の誕生パーティを企画・主催し、招待状を出したのは、クリーブランドに住んでいる長女ボニー・ペトラスとその家族だ。マルゴーには2人の娘がいたが、次女は若くして(23歳で)亡くなっている。

会場はポートジェファーソンの高台にあるクラブハウスで、目の前一面に海が広がっている。車を降りると、外には強い風が吹いていた。吹き飛ばされそうになって思わず近くのテラスの柱にしがみつく。白波が高く立ち、対岸のコネチカット州がクッキリと見える。4日前に、マルゴーの家を訪れたときの佇まいを思い出した。
ロングアイランドの北側の海辺は、海の幸と豊かな自然を抱え、人の暮らしに最上の恩恵をもたらして来た。ここに住み着いた人々の苦難の歴史は、同時に贅沢な環境を満喫している人々を育てて来たのだと・・・。

始まりの時間の30分ほど前から、次々に招待客が増えて、マルゴーに挨拶。
彼女は、子どもひとり、孫4人、曽孫6人、お腹に待機中の曽曽孫もひとりに加え、彼らが結婚したパートナーを含めた大勢の家族に囲まれている。上下共に黒いパンツ姿で、大ぶりのネックレース。背筋がピンと伸びているので、とうてい100歳の誕生日を祝う人とは感じさせない。やがて、会場を歩きながら友人・知人と賑やかに談笑し、エネルギッシュな振る舞いが眩しい。

部屋の一隅に、マルゴーの年代を追った写真が展示されている。幼い日々。後に夫になったロスと友人が揃う画学生時代。娘を抱く若い母親の姿。ヨーロッパ各地で華やいでいる壮年時代の姿には、キャリア・ウーマンの自信が見える。
美しく、負けん気のにじみ出る写真に、そのまま現在に続く姿を発見し、「写真は真実を写し出しているのだから、当然だ」と面白がる。

最年長の孫が開会の挨拶をし、続いて孫や曽孫が一言ずつメッセージをご披露。
あらかじめ準備・練習をしていたらしく、必死に話すのが愛らしい。小さい曽孫が、途中で忘れたのか、シドロモドロになって親が助け舟を出し、会場の笑いを誘った。

多彩な人たちがビュッフェ料理を手に、動き回っている。立ち話をしたり、テーブルを囲んだり。
夫と私は丸いテーブルに座り、10人ほどの同席者と歓談。ひとしきり話した後、「あなたは、高校の先生をしていましたね・・・?」と問いかけたのは、ニューヨーク市にある高校の校長先生だった。
「あら、どうしてわかりますの?」と聞き返すと、「あなたの話し方で雰囲気を感じましたよ・・・」とニヤリ。万国共通の職業柄のタイプがあるのかしらん。

「やー、ジャッジマン、お元気ですか?」。
「ジャッジマン、最近はどうしていますか?」。
「ジャッジマン、オペラを楽しんでいますか?」。
「ジャッジマン・・・」と次々に声をかけられている男性が、同じテーブルにいる。ジャッジマンという名前か渾名だろうかと訝っていると、近くに座っている人が「去年までニューヨーク市の判事をしていた人よ」と教えてくれる。ご本人は「21年間市の判事の仕事をしましたよ。現在は弁護士です」と話す。

オペラ好きが揃っていたらしく、個々の歌手の評価や演目の感想を話題にする。
私たちが日本からの旅人だとわかると、「ニューヨークに行ったら、ぜひ出かけたらいい」と、いくつかの観光スポットを紹介してくれたし、地震・津波と原子力施設の問題も話題になった。

食事が終わり、記念写真を撮る頃から、それまで比較的おとなしくしていた曽孫たちが本来の姿を見せ始め、超活動的になった。マルゴーのDNA!だろうか。
ひとりが「倒れて・・・」と声をあげると、揃って床に倒れこむ。倒れるのがビリになると、声かけの順になる。日本の「ダルマさんが転んだ」というゲームと同じだ。
そのうち、会場を運動場にして走り回りはじめ、テーブルの下に潜り込む子もいる。親が写真を撮ろうとしても、全員が揃わず、言うことを聞かない。
パーティー開始から3時間経っているから、子どもにはおとなしくする限界だったのだろう。それにしても、ちょっと羽目の外し過ぎだ。
その様子を眺めながら、ジャッジマン氏は、昨年開催した母親の誕生会の様子を披露する。「こういう何世代もの年齢差をまとめるパーティは、想像以上にたいへんなんですよ。特に、子どもには・・・」。

老齢の婦人から「あなたの息子のシンジを知っていますよ」と言われてびっくり。彼はフィラデルフィアにある大学院に留学中、感謝祭やクリスマスにはヒルダガード宅で過ごした。そのときに会ったと言うから、20年以上も前のことだ。
「またお会いできましたね」と声をかけられて、「はて・・・?」と思い出そうと必死になったが、昨日のオペラ鑑賞で一緒だった。顔を覚えていないし、記憶も不確かになっている。
集まっている人々は、付き合う階層が共通している。40年近く前、アメリカで感じたコミュニティの一面を思い出し、「変わらないなあ」と感じた。

個性の強い女性が一世紀を生きてきた。その証を垣間見た誕生日パーティーは、得難い経験だった。

5時半過ぎに帰宅。
休息しながらパッキングし、その後、インターネットでミュージカルのチケットを1時間半も検索。26日夜の「Nice Work if You Can Get It」に決めた。ニューヨークのエンターテイメントはいろいろあるけれど、評判や人気のものはチケットの購入は難しく、代金のディスカウントもない。

9時半頃、「昼間のご馳走で満腹だけれど、少し食べましょうよ」と、やっと落ち着く。アルコール類・チーズ・パン、その他のつまみを居間のテーブルに並べ、ヒルダガード宅最後の夜を過ごす。
日本、ドイツやアメリカの「三つ子の魂百まで」とか「石の上にも百年(3年ではない)」などの諺を披露し合う。それぞれの国で、どんな場合に使われているか、諺が意味する国民性や人間性との関係など、議論が続いた。オードビーは魔物だと感じながら、いつまでも語り尽きない時間となった。

2014年11月11日火曜日

[NYへの旅] 17.田中さん宅のお茶、ヒルダガードへの感謝の夕食

7日目  3月22日(金)その2  

午後、昨日のオペラ企画の始末をするために、ヒルダガードと一緒に図書館へ寄り、そのまま、お茶に招かれている田中さん宅へ。
滞在中の時間が足りないので「お気持ちだけ・・・」とお断りしたが、アメリカ人の付き合いには、招いたり招かれたりが大事だ。やっぱり失礼になるからと、お茶を希望した。

出かけてよかった。
昨年秋のハリケーン襲来で、樹木が車上に倒れ、住宅にも甚大な被害があったという。倒木は片付けられ、林に囲まれた静かな素敵な佇まいだった。林にいる鹿を眺めながら、厄介者だけれど自然に恵まれた環境を感じた。
亡くなられた夫君やふたりの子どもの写真を眺めながら、「これからどうなるかしら・・・」と、一人で住んでいる家の維持がたいへんになったことを聞いた。どこの国でも老齢化に伴う生活には、先が見通せない問題をはらんでいる。
昨夜のオペラの感想やエコを心がける暮らし、子どもたちの近況など、話が弾んだ。

さて今日の夕食には、滞在の感謝の気持ちをこめてヒルダガードを、再会を記念してトーマスとフェイを招待し、ウエディングリバーの海辺にある「La Plage Restaurant」へ出かけた。

このレストランは、シェフ自ら、午前中にロングアイランドの北の海へ漁に出かけ、その日獲れた新鮮な魚介類を料理している。金曜日にはワインの持ち込みが自由だし、この辺りではお薦め人気レストランだとか。カヌーを楽しむヒルダガードが借りているボート小屋の近くにあるし、それに今日は金曜日だから、好都合だ。シェフとヒルダガードは旧知の間柄というのもいい。

「カジュアルだけど美味しいから、いつも混雑しているのよ。予約なしでは断られることが多い・・・」と言われ、昨日電話をしてある。
次々にやって来る客で賑わっている。中には満席だからと断られて、立ち去って行く人もいる。「ほら、予約していてよかったわねえ・・」と、ヒルダガードと顔を見合わせた。

何を注文したか記憶は定かではない。地中海料理に通ずる味付けで、とても美味しかったし、ボリュームたっぷりで、堪能したことは思い出すのだが・・・。
そうだ。前菜は大皿でいろいろ注文して取り分けた。生牡蠣、たくさんの魚介類をマリネしたもの、白身魚のフリッターなど。
メインは、各人がブイヤベース、ロブスターのオーブン焼、パエリアなどを注文。
持参の2本のワインでは足りず、シェフがお薦めの白ワインを追加。
「誰が帰りの運転をするの?」「その頃には酔いはさめる・・・」と、乾杯を重ねた。

トーマスと夫は科学者として仕事の共通点があるので、福島の原発事故の深刻な問題が話題になった。フェイは放射能の人体への影響や薬害の話をした。高齢者である3人は、これからの世代の暮らしのあり方を懸念した。
楽しいひとときではあったけれど、世界中で、手放しでは希望を持てない時代になっている共通の認識があり、時代の空気も味わって、話は尽きなかった。

帰宅後、習慣のオードビーを飲みながら、話は続き、夜は更けていった。

[NYへの旅] 16.トーマスと再開

7日目  3月22日(金)その1 

アメリカで知りあった友人は、家族のいろいろな記念日をとても大事にしている。
集まって、ときにサプライズを用意して、人の繋がりを確かめている。人間関係がどんどん変化する社会では、こんな機会と場所をつくることが大事なのだろう。「アメリカ人になる」ために世界中からやってきた人々は、社会の最小単位である「家族」で支え合った。そんな伝統が生きていることを、家族が集まる記念日に感ずる。

19日のヒルダガードの誕生日に、息子トーマスから電話があった。
「週末にはロングアイランドに行くよ」とのサプライズで、ヒルダガードは大喜びした。そして今朝、朝食を終えると間もなく、トーマスが彼女(フェイ)を伴ってカリフォルニアから遥々やって来たのだ。

トーマス(47歳)は玄関に入ってくるやいなや、母親とハグを交わし、両手をとって挨拶。クリクリした目を輝かせる表情は、悪戯好きだった子どもの頃とちっとも変わっていない。
トーマスは、中東の湾岸戦争が起こった頃に高校を卒業し、まもなく海兵隊を志願した。「母親の負担を考えての彼の決断だったのよ。軍隊経験があると大学進学の奨学金を得られるので・・・」と、後にヒルダガードから聞いた。大学ではコンピューター関連のコースを学び、卒業するとカリフォルニア・シリコンバレーにある会社に就職。レーガン大統領時代、起業を決断して独立し、宇宙空間の軍事開発を構想する仕事を始めた。目下は、リバーモア研究所内にあるサンディア国立研究所に勤務している。「僕の仕事内容は、家族にも秘密だよ。もちろんヒルダガードも知らない。違反したら刑務所行きだ・・・」と、厳しい現実の一面を話してくれた。激務ではあるけれど、一方ではヨットを趣味にしているし、人生を楽しんでいる様子だ。

トーマスが30歳を迎えて以来、ヒルダガードからの手紙やメールでは、数人の女性が話題になった。「トーマスが選ぶのだから・・・」と言いながら、ときには、人間的な面で賛成しかねる複雑な心境のニュアンスもあった。
同世代のわが家の次男も結婚の兆しがなく、いずこも母親の心配と願望は同じだったから、半ば冗談まじりに「息子たちがそれぞれ結婚したら、お祝いしましょう。アメリカと日本の中間にあるハワイで・・・」と、約束していた。

ところで、同伴者のフェイは有力なパートナー候補らしい。
彼女が16歳のとき(世界が冷戦時代だった30年余り前)、両親、4人姉妹(フェイは上から2番目)と2人の弟の8人家族でフィリピンからアメリカに移住し、アメリカ国籍を得た。彼女によると、フィリピンの将来に両親が危惧して国を離れたという。
大学で薬学を専攻したフェイは、現在は病院専属の薬剤師をしている。到着早々に、掃除機を使って掃除を始めた綺麗好きの印象が強い。
「フェイは礼儀正しいし、気遣いのできる人・・・」と、ヒルダガードは言う。
ともあれ、若いふたりの登場は、刺激的な時間となった。

2014年11月9日日曜日

[NYへの旅] 15.オペラ、グノー作曲「ファウスト」を観る

6日目  3月21日(木)その3  

オペラ「ファウスト」は、ゲーテの小説が原作で、グノーが作曲した。
フランス語のオペラの特色として、今回はバレーが挿入される内容であり、いくつかのアリアは、単独の曲として馴染みがある。グノーの曲に惹かれて、観賞することを決めたのだった。

ファウストとマルグリートの恋と悲劇の物語の内容はわかりやすい。
老学者ファウストが、晩年になって人生をかけた学問に失望している。そこへメフィストフェレス=悪魔が現れて、若さと引き換えに魂を渡すことをそそのかす。ファウストは、美しい娘のマルグリートの姿を追って若返りの薬を飲み、青春に戻る・・・。そして・・・。

7時半。膨らんだ袖のブラウスとベスト、ロングスカートに帽子をかぶったコロニアル・スタイル姿の女性が、開演を知らせる木琴を叩きながら通り過ぎた。
各階のロビーで開演を待っていた人たちは、客席に急ぐ。
と間もなく、天井から下げられていたクリスタルの電灯がスルスルと上がり、その動きに交差するように、天井からふたつの爆弾が降りて来た。
夫が「原子爆弾だよ。右が広島に投下されたリトルボーイ、もうひとつが 長崎に投下されたファットマン ・・・」と囁く。

原子爆弾が置かれた舞台中央後方のスクリーンに、フイルムの映像がクローズアップされていく。白衣姿の研究者たちが話し合う場面、活気に溢れた実験室の様子。ヒットラーの演説、出征していく兵士の姿もある。やがて戦争の激化による悲惨な状況になり、原子爆弾の投下で灰燼に帰した広島の街となった。
静かに映像が消えると同時に、爆弾は天井に吸い込まれていった。20世紀前半の世界の動きをあっという間に紹介した導入部は、意表を突くものだった。

なるほど。今日のファウストは、ウラン利用を実用化した原子力研究の科学者で、それが原子爆弾製造につながった。彼の本意とは違って、第二次世界大戦末期に破壊的な威力を示した。原子爆弾投下には抵抗し、研究開発を後悔したが後の祭り。戦争指導者=メフィストフェレスに魂を売り渡した結果になったのだ。

終演近く、廃墟となった街の姿が映し出され、ふたつの爆弾が再びあらわれた。想像を絶する戦渦は、原子爆弾が悪魔の兵器となったことを示した。
「こんなはずではなかった」と、志とは異なる結果を悔やむ科学者の姿に、「ファウスト」の根源的な問題が描かれて、興味深かった。

演出はフランスのAlain Altinoglu、科学者ファウスト役はポーランド人Piotr Beczala(テノール)、メフィストフェレス役はカナダ人John Relyea(バス・バリトン)、マルグリート役はロシア人Marina Poplavskaya(ソプラノ)。

特にマルグリートとメフィストフェレス役の歌唱は素晴らしく、歌い終わってからの拍手が長く続いた。中には、スタンドオベーションをする者もいて、舞台の演技途中、長い中断になった。

メトロポリタン・オペラは、登場人物といい、解釈といい、国境を超えた国際的な舞台だ。今も、シリアやアフガニスタンに手を焼くアメリカへの皮肉も感じた。

また、初演からの年月が重なっても、現代の社会問題を巧みに取り入れているオペラは、歌舞伎にも共通し、古めかしい印象はない。伝統に裏打ちされながら、観客に現在の時事問題を知らせているのだから、面白い。

私たちの席の前に、ドナルド・キーン氏とふたりの日本人が座っていた。
2度の中休みには、軽く会釈しお互いに意識したが、ニューヨークに来てまで追っかけ?をするのではと遠慮した。いつもなら、ミーハー的好奇心があるのだが。

11時半にバスに乗り、ロングアイランドに帰って来たのは夜半1時10分。
天気予報通りに夕方から雪になった。気温が氷点下5〜6度Cだから、駐車した車の屋根に積もった10センチほどの雪がコチコチに固まっている。スクレーパーでゴリゴリと掻き落とし、フロントガラスにお湯をかけた。
ヘッドライトに照らし出される林の中に、数頭の鹿がキョトンと車を見ている。「悪戯をする連中・・・」と、異口同音に呟やく。

自宅に帰り着いても、観劇の興奮納まらず。ヒルダガードは「眠り薬が必要ね」とウインクしながら、リキュールのグラスを並べた。
彼女は言う。「普通のアメリカ人には、原子爆弾が出てきた意味がわかっていたかしら。私も最初はわからなかった・・・」。
脚本・演出に込められた意図の理解は、観客次第ということだろう。
とりわけ第二次世界大戦を経験した人々は、人間が創り出した兵器の悪魔性を骨身に沁みて知っている。戦後が長くなるにつれ、それが次第に忘れられていくのが怖ろしい。

[NYへの旅] 14.ペトロポリタンオペラの企画

6日目  3月21日(木)その2 

40年近く前、BNL研究所の福利厚生部門では、メトロポリタン・オペラやコンサートのチケットを斡旋していた。観劇当日は仕事が終わってから各人が1時間ほど車で走り出かけていた。それでも開演時刻には十分間に合ったので、楽しみにして利用し、オペラ愛好者?になるきっかけになった。

17年前、ヒルダガードが地区の図書館の学芸員になると、月に1回の割合で、メトロポリタン・オペラやニューヨーク交響楽団のコンサートを年間企画から選び、チケットの斡旋ばかりではなく、足の便も含めた企画を始めた。バスをチャーターすれば駐車場の心配をしなくて済むし、運転の疲れもない。企画は好評で、現在も毎回バス1台が満杯になるという。
ときどき彼女からはオペラの演目や催行月日の情報が届き、「是非一緒に観たい」との誘いが続いたが、日本からは遠かった。「そのうちに実現したい」と言いながら時間がどんどん過ぎ、お互いに年齢を重ねた。そして、そろそろ最後の機会になるかもしれないと、賭けをしたのだ。それについては、はじめに書いた。

午前中は時折り小雪がチラついたが、集合時刻の30分前頃から晴れ間がのぞいた。
今回の参加者は総勢47名。ほとんどが常連らしく、「私、来ているわよ」とヒルダガードに挨拶。チケットを受け取る人、座席の交換など、遠足へ出かけるような賑やかさだ。
それに今季最後の企画だから、例年通りオペラ鑑賞の前に、プレ・ディナーもあり、「どのメニューを申し込んでいるかしら?」と尋ねる人も。

3時きっかりにバス出発。
早速、ヒルダガードが次のオペラ・シーズンの演目を紹介し「みなさんの参加を期待します」と宣伝。観劇後の集合時間と場所などを、いつもとは違う気取った声音で話す。普段は茶目っ気たっぷりの彼女だから、その落差に目を見張った。
「ヒルダガードの意外な一面を見た感じ・・・」。
「そうだなあ、威厳を持って喋っているんだろうね。約束の徹底をしているのさ」。
夫と顔を見合わせながら、ヒソヒソ話。

今日のオペラ「ファウスト」のパンフレットが配られ、4時過ぎにはニューヨーク市へ。前にも書いたが、交通法規で複数人を乗せているバスは、速度が出せるレーンを走る。乗用車よりも時間が短縮される。

「Cafe Centro Restaurant」(ヴァンダービルト通り45番街)でプレ・ディナー。
メニュー    トマト・アボカド・レタスの野菜サラダに蟹の身を盛り付けたもの
                  フィレミニヨン・ステーキの赤ワインソース味、ポテト添え
                  デザートは、ピーカンとアーモンドのケーキ、洋ナシの甘煮
観劇中に眠くなるかと心配しながら、夫の常套句「料理に対して失礼になるから」と赤ワインを注文。

食事後、夕方の陽差しを浴びるビルを仰ぎ見たとき、レストランの場所が昔のパンナムビルの1階だとわかった。