2014年12月3日水曜日

[NYへの旅] 27. さようなら、ニューヨーク

13日目  3月28日(木)
一夜明けた午後、全ての滞在の日程を終えて、日本への帰国の途についた。
家族揃って初めての外国体験をしたロングアイランドを訪れ、ヒルダガードとの再会を果たした。さまざまな追憶を胸に、想い出の地を懐かしみ、友人知人と語り、さらに新しい事物にも触れて、充実した毎日だった。もう思い残すことはない。

ホテルからJFKまではリムジンを利用したが、他の乗客はいなかった。
運転手は人懐っこくて、まるで個人ガイドよろしく、空港までの観光スポットを説明してくれた。
それに、彼はセブンスデイ・アドベンティスト(アメリカの新興キリスト教のひとつ)の信者で、飲酒や喫煙はしない、コーヒーも飲まない、豚肉は食べない、土曜日は働かないなど、信仰のあれこれを話した。

搭乗までの時間の余裕をみていたので、空港では荷物を預けて身軽になった後、観光客をウオッチング。
面白かったのは、地方からの中高生の団体だ。
集合時間になったのか、三々五々集まってくる。先生が何やら指示しているが、賑やかで、言うことをまともに聞いていない。徹底できない指示にも問題ありだなあ・・・。
そのうちに、次々に名前を呼び出すアナウンスが響く。
傍にいる年配の男性教師が、興味津々で様子を眺めている私たちに気づいて、「これからスペインのバロセロナへの修学旅行に出かけるんです・・・」と話しかけてくる。
何度も同じ名前の呼び出しが繰り返されている。まだ飛行機に乗っていないのに、引率はさぞ大変だろう。「無事に修学旅行が終わりますように・・・」と、元高校教師は切実に思う。
かと思えば、仲良しのカップルが抱き合って、周りのことなど眼中にない。

搭乗手続きのチェックは、とてもとてもの二乗の猛烈な厳しさ。X線はもちろん、靴を脱ぎ、念入りなボディタッチなど、ピリピリする空気が漂い、テロ事件の警戒で人間不信を丸出しにしている。そんな警戒をしなくては、国家としての体面と安全が保てないのだと不幸な一面を痛感。現在のアメリカが抱える政治・外交の問題と国家の本音を垣間見る。
アメリカ人の友人・知人は素晴らしい仲間だと親近感を抱いているのに、個人を超えた問題は厳しい。
「アメリカへの旅は、最後になるだろうな・・・」と思いながら、搭乗した。

[NYへの旅] 26. ハイライン・ウオーキング

3月27日(水) その4
ニューヨーク観光の最後はハイライン・ウオーキング。
今度の旅で会った友人の多くが、目を輝かせながら、異口同音に話した。
「ハイライン・ウオーキングは絶対にお勧めよ。十分に楽しめるから、ニューヨークに来たら出かけなくっちゃ・・・」と。アメリカ人の底抜けのホスピタリティを感じながら、「こんなにまでニューヨークっ子を虜にする魅力の場所には、出かけなければなるまい・・・」と、旅の最後に予定に入れた。

地上9メートルの高さだから「ハイライン」、そこを歩くので「ハイライン・ウオーキング」と呼んで、新しい観光名所になっている。

およそ80年前(人間なら傘寿!)の1934年に、ハドソン川に沿って、貨物専用の高架鉄道が開通した。川と陸を結ぶ物流を担って重要な路線だったが、車の普及で物資輸送の役割が終わり、廃止された。
アメリカの発展を担った地域を走り、ニューヨークの歴史を体現した鉄道だったから、消滅を惜しんだ有志が、高架鉄道の保存を呼びかけた。
こうして、2009年に、12丁目から30丁目の間に、人が利用するハイライン(観光ガイドブックには、”空中庭園”と書いているものもある)が出現した。

歩き始めてから間もなく、知恵を出しあって様々なアイディアを出し、考え抜かれてつくられた遊歩道に感心した。「素晴らしい!」と、何度も呟きながら・・・。
セントラル・パークの緑や空間とは、規模からして比較できないけれど、都会の自然がもたらすゆとりやあたたかさは同じだと感じた。

列車のための地上9メートルの高架をそのまま利用した道は、標準的なビルの3階の高さになる。街路を歩くのとは異なって、視界が拡がって面白い。ところどころ、目の前に立ちはだかるビルが途切れ、碁盤の目のように区画された南北の通りが、ずーっと見渡せる。期せずして、ニューヨークの市街が俯瞰できて、うれしくなる。
かと思えば、柵から身を乗り出して真下を見ると、かなり大きな木造の廃屋がある。貨物鉄道の衰退とともに、時代の進展についていけず、打ち捨てられていった暮らしがあったのだろう。

軌道を保護するための植樹が、遊歩道の趣を演出している。場所によって異なった樹木が植えられ、樹高もさまざまだから、限られた軌道跡の変化は豊かだ。

ハドソン川を見下ろす地点に佇むと、河畔のベンチに、肩を抱き合うアベックが座っている。タイミングよく、観光客を乗せたフェリーが通り過ぎていく。

おや、おや。ちょっと広い場所で、地面に寝そべって昼寝をしている若者たち。
枕にしている荷物から推測すると、バックパッカーらしい。
その近くでは、日向ぼっこをしながらアイスクリームを舐めている少女グループ。

ヴァイオリンを弾く女性とアコーディオンを奏でる男性は知り合い同士か。聴衆の反応を確かめながら、サービス精神たっぷりで、ご本人たちも楽しんでいる風情だ。

ジャグリングの技を披露し、子供たちの歓声を浴びているピエロ姿の若い男性。

芝生の上に売り物らしい絵画を置いた傍らで、読書をしている人たち。

快晴だった空にときおり雲が拡がって寒くなった。タンクトップ姿でジョギングをしながら駆け抜けて行く男女の二人連れ。

ハイラインができる前は列車が走っていたから、沿線の建物を覗く者は、ほとんどいなかったに違いない。今は、すぐ前に窓が並んでいるから、覗かれたり、覗いたり。
「どうぞご覧ください」とばかり、窓を開け放して、部屋の内部の装飾を見せている家。どんな人がいるのかと立ち止まって覗くと、笑顔の老人が座っている。「退屈を紛らせるこんな遊び!をしている」と思いながら、手を振り返す。
しばらく歩くと、人が窓にぶら下がっている。「危ない!」とドキリとしたが、巧妙に作られた人間と同じ大きさの人形だった。驚かせるのを面白がっている感じだ。また、「Welcome」のプレートを掲げた人形が、窓枠に座っている。手をのばせば、窓に届くような距離だが、まさか、ここから訪問する者はいる? いない? 
 
カーテンをしっかりおろし、閉鎖している家。住人には、有難迷惑のハイラインなのだろうか。

考え抜かれたアイディアでいろいろな表情を見せる遊歩道は、古い歴史を活かし、それを利用する人間を大事にしている。ニューヨークが生み出した斬新な施設としての印象が新鮮だったし、楽しめたし、得難い経験だった。

[NYへの旅] 25. MPDとチェルシー・マーケット

3月27日(水) その3
午前中のグラウンド・ゼロの観光は重かった。
「気分転換をしたいね」と、地下鉄のEラインに乗り、4つ目の14ストリートまで行く。この辺りで昼食を済ませ、午後はハイライン・ウオーキングをする計画だ。

ニューヨークの精肉加工場が集まっていた一画は、その名もずばり「Meat Packing District=MPD」と呼ばれている。今はすっかり変わって、新進気鋭のデザイナーがブティックを開き、ファッションの最先端を牽引しているらしい。ニューヨークに住む人はじめ、観光客も集まっている地区だという。お洒落な店を覗きながらブラブラ歩きもよかろう。
なるほど、以前は工場だったことを思い出させる大きなコンクリートの建物が改装され、衣類、バッグ、靴などの、人目をひく綺麗な店が並んでいる。
でもね。それが一番の問題なのだが、スタイルといい、色彩といい、それにサイズにしても、およそわがお年頃とは無縁のものばかり。
初めは好奇心を満たす何かを期待して歩き始めたが、まもなく「残念だけど、面白くない・・・」と諦めると、夫もホッとした。

「そろそろ食事を考えよう」と、レストランを探しながら、近くにある「チェルシー・マーケット」に入った。
天井が高くて、明るい。旅先のどこの国でも、必ず行きたいバザールに共通している。都会の市場だからごちゃごちゃしていないが、人が群がって、人間臭い雰囲気だ。
生鮮野菜と果物、肉・魚・チーズやハム類の加工食品、花卉や民族固有の香辛料や雑貨類もある。住民の胃袋を満たす品々を眺め、人々の食生活について想像する。
「どうやって食べるの?」と聞くと、丁寧に教えてくれる店のおばさん。
興味のある店を見て回りながら、お土産になる食品を物色したり。
さっきまでのもやもやしていた気分が和んでくる。日常生活に直結している品々、特に食料品は、何を食べているか、どんな料理をするのかと、人々の暮らしを想像させ、生きることを考えさせる。
「これ、いいねえ・・・」と立ち止まっては、好奇心を募らせた。

マーケットの周囲に食べ物屋が並んでいて、観光客が群れている。「ここで昼食にしよう」と覗き込み、久しぶりに中華料理にした。
一皿の量が多いし、少々油っぽく感じられて、食欲がない。こんな時、夫は元気おじさんの面目躍如で、「味は美味しいよ。油っこいなんてことない」と言う。
ニューヨークに移動してから欲張った観光をし、今日は旅の最終日だ。身体は疲れを感じているから、「胃袋もお疲れ・・・」だったのだろう。

グラウンド.ゼロを訪れて感じたこと


[NYへの旅] 24. 3月27日(水)その2
「サバイバー・ツリー=生還の木(マメナシの木)」が1本。サウス・プールの西側に枝を広げている。
1970年代に旧世界貿易センターの広場に植えられ、9.11後に、グラウンド・ゼロの瓦礫の中から焼け焦げた切り株となって発見された。ニューヨーク市の公園に移され、奇跡的に芽を吹き、新しい枝が伸び、花が咲くまでになった。ところが、2010年3月の暴風雨で根元から倒れてしまい、それでもしぶとく生き延びて、その年の12月にグラウンド・ゼロの敷地に戻された。
こうして、テロにも負けず、嵐にも倒れず、9・11事件の歴史を記憶する「生存と復活」のシンボルの木となった。

グラウンド・ゼロにあるサバイバー・ツリー以外の樹木は、「スワンプ・ホワイトオーク(ブナ科)」で、まだ若い。同時テロの標的になった3ヵ所(注)の攻撃地点から半径800キロメートル圏内にある苗床から選ばれて、グラウンド・ゼロの全施設が完成するまでに、400本以上が植えられる予定だという。

(注)攻撃の標的になった3カ所・・・①ニューヨークの世界貿易センターのツインタワー、②ヴァージニア州アーリントンにあるペンタゴン=国防総省本庁舎、③ペンシルバニア州のシャンクスヴィル

ニューヨークの新しい観光地となっているグラウンド・ゼロ。
刻々とタワーが崩壊し、粉塵を上げていたテレビ中継を、再び思い出した。
テレビに釘付けになったあの日。この世の現実ではないと思いたかったあの日。
テロから10年余の時間が過ぎ、ここを訪れる人々にさまざまな感慨をもたらす空間に変わっている。

ユニフォーム姿のボーイ・スカウトやガール・スカウト、あるいは在郷軍人のグループ。遠くの州からやってきた観光客の男女は、お揃いの真っ赤なジャンパーを着ている。中には星条旗を手にする人たちもいる。この日、団体が目立ったのは偶々だったのだろうか。世界中のさまざまな民族衣装を着た観光客も多い。

ここを訪れた人々は、男女を問わず、老いも若きも、なにかを感じているに違いない。9.11テロ事件を境にして、ブッシュのアメリカ政府は、イスラム勢力の中東地域への強行姿勢をあらわにした。未だに、空爆やテロの応酬が続き、混沌とした争いに解決はみえない。

グラウンド・ゼロの記念碑は犠牲者への追悼の気持ちをあらわす施設として建造されたが、確かにそうだけれど、土台には反アルカイダ、反イスラムの立場で、断固として闘うことを宣言しているのではないか。団体の観光客の姿を眺めながら、アメリカの世論の一端を垣間見た気がした。愛国心を高揚する観光地の出現だと、そんな深読みが必要ないことを思いながら・・・。
これから、世界はどうなって行くのだろうかという虚しさが、胸に残った。
「テロは許さない」と言う一方で、軍事的な動きが活発になっている。報復の連鎖がますますひどくなっている。

[NYへの旅] 23.国立9.11記念公園ん(グラウンド.ゼロ=爆心地)を訪ねる

3月27日(水)その1

何人もの人から、アドヴァイスがあった。「グラウンド・ゼロに行くつもりなら、電話で予約した方がいいよ。とても待たされるから・・・」と。
滞在中の予定は、友人・知人が絡むのなら予め時間や場所を決めるが、場所が目当てなら逃げるわけでもなし。何とかなるさ精神で臨機応変に行動する夫は「混んだって大丈夫だよ」と言う。「MoMAのような混雑だったらどうするの?」と気にする妻に、「心配性のオクさんを持つと、大変だよ」と笑い、妥協して早めにホテルを出ることにした。
今までの経験で予約が有効だったのは、まあ半々と言ったところだろうか。

地下鉄のレキシントン駅でダウンタウン方面のE線に乗ると、黒人やアジア系の乗客が目立つ。アメリカ人の住居の住み分けとコミュニティが、路線の利用者に反映している。

朝が早かったので、拍子抜けするほどグラウンド・ゼロ入場の列は空いていた。
もっとも、リュック・サックやバック類の検査は、空港のセキュリティ・チェックと同じ厳重体制で行われ、そこで時間がかかった。後から来て、待たされることなくチェックを終えたグループは、予約していたのだろう。これが友人たちの親切な助言だったのだとわかった。

検査を終えると、多くの言語のパンフレットが並ぶ棚から、資料を取り上げた。それを読んで、グラウンド・ゼロ建設の趣旨を理解した。
要約すると、以下になる。
①「国立9.11記念碑」は、2001年9月11日の同時多発テロと、1993年2月26日の爆破事件で亡くなった2983人を追悼するために建設された。犠牲者のうち400人以上は初動レスキュー隊員だった。
②犠牲者の出た地を神聖な場所として、尊厳を保つために計画された。
③他人を救うために、自らの命を捧げた人々の勇気と他人への思いやりの心を称え、9. 11直後にうまれた絆と団結心を共有できる場所にする。

テロ事件から10年の2011年9月、「9.11記念碑」の一部が完成し、ふたつのプールと博物館の部分だけ公開された。その周辺ではヘルメット姿のたくさんの労働者が働いていて、大規模な建設工事が進行中。公園としてのグラウンド・ゼロの完成は、ずっと先になるのだろう。

ツイン・タワーが聳えたっていた世界貿易センターの跡地を見回すと、テロ事件前に林立していたビルの敷地は、意外に広い。太陽がいっぱい降り注いでいる。
帰国後に調べると、1966から77年にかけて、6・5ヘクタールの敷地に6棟のビルが建設されている。ニューヨークにある建造物の中では、比較的歴史が浅いことを知った。周囲には、年期が入った古いビルが並んでいる。中にはツイン・タワー崩壊のあおりで破損の激しい建物が、当時の姿をとどめたままで建っている。

東西ふたつのプールは、ツイン・タワーが建っていた場所に造られ、段差(9メートル)を利用した滝からは、陽の光を受けてキラキラ輝やく水が流れ落ち、間もなくプール中央の空洞に注ぎ込んでいく。まるで奈落に吸い込まれるように見える水の流れが、地獄を想起させる。ビルが崩壊していった姿を現しているのだろうか。

四角いプールの周辺は青銅の壁で造られ、やや斜めになっている上面に、犠牲者の名前が刻まれている。漢字の名前を所々に見つけ、富士銀行ニューヨーク支店勤務の24人だと気づいた。

その頃、大学時代の友人の娘さんが、富士銀行勤務の人と結婚してニューヨークに住んでいたが、テロ事件で未亡人になった。まだ30歳代の若さだった。悲嘆にくれる母親の姿に、言葉を失った。
ここに名前を連ねている人々と彼らの家族・縁者は、普通の暮らしをしていたのに・・・。そう。テロは傍若無人で人の命を抹殺したのだ。

さらに思い出す。同時中継された映像は、衝撃だった。
黒い煙が立ち上り、粉塵をあげながらビルの倒壊がどんどん進んでいく。
快晴の空を背景に、バラバラと降っているビルの資材、勢いよく落ちて行く人。
頭から血を流しながら、口を覆いながら、非常階段を降りてくる人々。
地上では、警察官が必死になって逃げる人をガイドしている。
ホースを抱えて階段を上っていく消防士たち。
無線機の飛び交う雑音が聞こえる。
「ア、ア・・・」「アレーッ・・・」「ウワーッ・・・」。言葉にならない声をあげていた。

その日、夫は体調が振るわず、ベッドで休息していた。
「大変よ!。起きて!。ニューヨークの貿易センターのツイン・タワーに、アルカイダのテロリストが飛行機で突っ込んだのよ。見て!、早く!・・・。」と、大声をあげる私。
「映画のシーンじゃないのかい」と、寝ぼけている夫。
「現実に起こっているのよ。リアルタイムで中継されている映像・・・」という声に、「本当かい?」と、夫は起き出したのだった。

2014年11月16日日曜日

[NYへの旅] 22 . ミュージカル鑑賞

11日目  3月26日(火)その2 

ロングアイランドに滞在中、ヒルダガードが「人気のミュージカルだし、出演している俳優は演技の質が高いし・・・」と、いくつか候補を挙げたので、インターネットで検索した。滞在日程を考慮するといずれも満席で、なかなか決まらない。1時間以上かかって、やっと「Nice Work if You Can Get It」のチケットを入手。ミュージカルは、言葉がわからなくても、喜怒哀楽の感情表現は万国共通で、演技の流れを想像しながら理解できるし、歌あり、踊りありで楽しめるからいい。

ミュージカルの舞台は、1920年代の禁酒法が盛んだった時代。
主人公のジミーは、いい加減な性格の金持ちのボンボン。結婚を控え、独身最後の夜を楽しもうとキャバレーへ出かけて酔っ払った。そこで元気な女性に会い、帰り際に意気投合してさらに大いに盛り上がり、夜が更けた。ところが、彼女は酒の密輸入と密売をするギャング・グループの1員だった・・・。
ということから、てんやわんやの騒ぎが展開する。

ジミーは女性から頼まれて、父親の屋敷の一角にある倉庫に密売酒を隠す羽目になる。やがて、ジミーは密売ギャング・グループの1員と間違われて、警察に踏み込まれる。

意気投合した女性と浮気をしている現場は凄まじい色気の世界だし(役者ながらよくやるよ)、そこに許嫁が現れ、浮気を否定するため辻褄合わせに苦労したり。
気が弱くいい加減な男ジミーが、家族・親戚・ご近所さん・ギャング・警察官を巻き込んで、受難が途切れることなく続いていく。

軽快な舞台展開に笑い転げながら、大いに盛り上がった。あっという間に時間が過ぎ、眠くなる暇なんてなく、楽しかった。

このミュージカルは、2012年、トニー賞の10部門にノミネートされたコメディの人気作品で、ジミー役はベテラン俳優のマシュー・プロティック。「さすが」と唸ったのだが、この役には話題が付け加わった。

というのは、間もなく退任する予定のニューヨーク市長ミシェル・R、ブルームバーグ氏が、途中ジミー役で登場して喝采を浴びたのだ。キャバレーの女性陣に囲まれて気持ちよく演技し、歌を披露している様子が、新聞の文化面に写真と共に出た。市長として市民に人気があるのも、頷ける。東京都知事がミュージカルの主役になるなんて到底考えられないし、その気にもならないだろうから、驚き、感心した。
余談だが、ブルームバーグ市長の月給は、月額1ドル也。IT関係の仕事で成功している億万長者で、市民の税金から給料をもらわなくてもいいんだとか。どこかの政治家が、いい加減な名目で政治活動費を我がものにしているのとは、大違いだ!。

それともうひとつ。
舞台いっぱいに新鮮な美声を響かせ、キビキビした演技で拍手喝采を浴びた少年(実際は女性ソプラノ)が目立った。このミュージカルで6人のコーラス・ガールの1人として出演していたキャメロン・アダムスで、その日急病で休んだベテラン女優の代役として登場したのだ。彼女はすでにいくつかの演劇で注目を集め、注目されていたらしい。ブロードウェイの役者が様々なチャンスを狙い、経験を重ねながらベテランに育っていく。いつ出演できるかわからないのに、ぶっつけで役をこなす普段の努力の一端を垣間見たし、彼女が歌い終わった後にいつまでも拍手が止まない観客の暖かい声援が心地よかった。「こうして役者が育っていく。観客が役者を育てるのだ」と、ミュージカルの本場の空気を感じた。満足の一夜だった。

[NYへの旅] 21. 気ままなニューヨークの街歩き

11日目  3月26日(火)その1

今夜、ミュージカル鑑賞を控えているが、日中は街歩きをしようと相談。
特別に訪れたい場所があるわけではない。かつて訪れた場所へ行き、あるいは人々の動きを感じ、ニューヨークの空気を味わいたいからだ。ホテルから五番街に出て北へ歩き、セントラルパークを目指すことにする。

トランプ・タワーに入り、ピンクの大理石の壁面に流れる滝を見上げながら、贅沢な空間を確かめた。トランプ・タワーは30年ほど前に建設されたが、その頃すでにソニー・プラザが新しいニューヨークの名所になっていた。建築設計の段階で地上権を設定し、公共のためのゆとり空間を整えていたのだ。こうした息抜きの空間を確保すると、税制上の優遇措置があると聞いて感心したのだったが、すでにソニー・プラザの影はなく、プラザ・ホテルになっていた。地下のプラザ・フードホールの賑わいを眺めながら「昔の光、今いずこ・・・」のメロディを思わず呟いた。電気業界の熾烈な競争の中で針路を誤り、かつてのソニーの勢いがなくなったことを実感。「日本を代表する企業だったのに・・・」と、複雑な気持ちが去来した。

セントラルパークに入った。
木々は冬枯れていたが、わずかに芽がふくらみ始めている。まだ寒い時期だから、観光客はほとんどいない。
ときどき犬の散歩をしている人と行き交う。意外に若い人が多く、犬連れの顔馴染みと出会うと、散歩そっち抜けでおしゃべりに興じている。犬同志は飼主を見上げ、おとなしい。「忠犬ハチ公だわ」といじらしい。「ひょっとしたら、犬が取り持つ男女の出会いの場かも・・・」などと想像し、われながらおばさん的発想だと苦笑する。

枯葉を咥えたリスが目の前を横切り、大急ぎで木の上に駆け上って行く。迷うことなく慣れた動きで登る木がわかるのだから、エライ!
手元にある器械を手動操作する小型のヨットが、池に漂っている。誰が操作しているのかと辺りを探すが、姿はない。ヨットの近くで、アヒルが「グワッ、グワッ・・・」と鳴きわめいている。縄張り侵害だと抗議しているのだろうか。
岸辺のベンチで、男性の老人が新聞を広げている。時折り前を歩いて行く人を、眼鏡越しの上目遣いで眺めている。日向ぼっこをしながら、朝の日課だろう。

歩き疲れ、「ボート・ハウス・レストラン」で、カプチーノとフルーツ盛り合わせを頼んで小休息した後、セントラルパークからマジソン街を南へ歩く。

軒を連ねている高級店、ラルフローレン、ランバン、グッチ、シャネルなどのウインドウを覗く。売値の桁が違うし、店の入り口にはドア・ボーイが控えていてものものしい。懐を気にする者には所詮は縁のない店だし、シュウカツ(終活)とやらで身辺整理の必要があるお年頃だから、グッと欲望を抑え込む。夫は、首を振る妻を見ながら「欲しい物があったら、買うことは必要さ」と笑い、「安上がりのオクさん」と宣う。因みに、 旅先では夫の方が買い物の度胸がいいのが、わが家流だ。

ホテル近くのデリカテッセンでビーフ・サンドイッチを買い、部屋で寛ぎながら昼食。食欲がないけれど、3度の食事をきちんと食べないと落ち着かない夫に付き合う。
しばしの休息後、予約した夕食のレストランはブロードウェイの48wにあるので、「その前にブロードウェイ界隈を歩こう」と、再び外出することにした。

家族でアメリカ生活を始めたとき、必要な品々を買い求めた百貨店Macy'sへ入り、ぐるっと一回り。「このコーナーでアイロン台を買った。毛布を買ったのもこの店だった・・」と懐かしい。

大勢の観光客が土産物店に群れている。安物の土産店が多く、「こんなの貰ったって、どうしようもないないわ」と思う。街の空気を斜に感ずるのは、自分の年齢を認識することだ。若い頃は何にでも興味を持った街歩きだったっけ。エネルギーが溢れる雰囲気に圧倒されながら、タイムズ・スクエアの雑踏を歩く。

大きなスクリーンの前で、手を振ったり、笑ったり、ジャンプしたり。「何をしているのだろう・・・」と近づくと、スクリーンに好奇心丸出しの自分の姿があった。「あれ、まあ・・・」と言いながら、夫が構えるスクリーンのスナップ写真に収まる。旅先では知っている人がいないのは有難い・・・。

予約したレストラン「La  Masseria」に、少々早く着いた。プレシアターの食事が供されるので知られ、すでに大半のテーブルに客が座って、アペリティフを楽しんでいる。彼らもブロードウェイのいずれかの劇場に出かける人たちだろう。

メニューを眺めていると、ウエイターは「いずれも大皿で、二人分になります」とアドバイスしてくれた。舌平目、パスタ(ラビオリ)、サラダを一皿づつと赤ワインを注文。
「アルコールが入ると、観劇中に眠くなるおそれありだけど、”料理に対して失礼だから・・・”(夫の常套句!)」と。何が理由であれ、夫が飲まない方が心配になる!
魚料理がお薦めのレストランで、舌平目の切り身が香草入りバターでソティーされ、あっさりとした味付けが美味しかった。たっぷりの量で堪能し、飲まなくても満腹で眠気を誘う感じになった。

入るときには気づかなかったが、レストランの隣りの広場には、9、11テロ事件(2001年)の犠牲者記念碑があった。ツイン・タワーの崩壊で、この地区の消防士が救出作業中に犠牲になったのだ。刻まれている犠牲者の名前を確かめながら、この事件以降の世界のテロの数々を思い出した。軍事的攻撃と報復を繰り返している世界状況は、かえって深刻になっている・・・。