2012年5月9日水曜日

クルーズ最後の寄港地はナポリ(イタリア)

4月8日(金) 旅の20日目

遠くの島に朝陽が顔をのぞかせて、ゆっくりと昇ってくる。冷気を含んだ潮風に吹かれながらデッキを散歩し、その後、早々と朝食を済ませる。
最後の寄港地となるナポリには、8時入港。

入港・出港は、ドラマティックだ。
海上からのパノラマが、次第に明らかになって大きくなっていく入港風景。
水平線の彼方に、山や崖がぼんやりと姿を現し、やがて、樹木の茂みや家々が重なってくる。車の往来が蟻のような動きに見え、目を凝らすと人が歩いている。どの港でも、人々の日常は同じように見えながら、背後に拡がる気候風土の違いを思う。連綿と続いて来た人々の暮らし、彼らが生み出した文化を想像する。訪れる土地への期待に、胸が膨らんで行く。
しばし踏みしめた土地の感覚を反芻しながら、港から遠ざかっていく出港風景。
その土地の新たな見聞が確かな記憶となって、静かな興奮が心を満たす。
いずれも、クルーズならではの醍醐味だ。土地の全貌を捉えるのには、船上からの眺めは得難い。

2000年5月のクルーズでは、ナポリ港に寄港して、郊外のポンペイを訪れた。
ポンペイ遺跡に興奮し、圧倒されたが、イタリア南部の大都市ナポリは素通りだった。(そのときの旅日記は、以下にまとめている。ポンペイ(上)ポンペイ(中)ポンペイ(下)

今回のナポリ寄港はわずかな時間で、午後1時には出港する。
バスを利用したドライブ観光が中心で、かつてナポリを取り囲んでいた城壁に沿う
ように走り、今も残る城門を車中から眺めたり、ヨーロッパ最初のオペラ劇場「サン・カルロ劇場」、ウンベルト1世のギャレリア、ナポリの守護聖人パルテノペの噴水、卵城などでは、カメラ・ストップしたり。名所旧跡を訪れた証拠写真を撮っても感動しないし、説明を聞いてもすぐ忘れ、どうも性にあわない。バスを乗降するだけで気分的に疲れ、受け身の観光になって面白くないのだ。

そんな気分もあって、「考古学博物館」を訪れたことが、ナポリ寄港の最大の収穫となる。
「考古学博物館」は、16世紀に馬術学校として建造された建物だ。
1階ではギリシャ・ローマ時代の彫像を、2階では「モザイクの間」へ、3階では古く使われていた医者の器具、建築用具、錠、鍋・・・などを観た。

これらは、ブルボン家のカルロ3世(1759〜88在位、ナポリ・シチリアがスペイン領になった後に即位し、母がファルネーゼ家出身)と教皇パウロ3世を記念して収集した「ファルネーゼコレクション」と、モザイク画・ブロンズやガラス製品などのポンペイ出土の数々だ。ナポリの歴史の重層性を改めて知り、興味深かった。

現地ガイドのカルラさんが、日本語の丁寧語を駆使して解説したのには、びっくり。声だけ聞いていると、最近の日本でもあまり聞くことができない上品な口調で感心する。後で「日本語をどこで覚えたのですか」と尋ねると「テレビの日本語講座で学びました。まだ日本を訪れたことがありませんので、とても残念でございます」とのこと。

「イタリア最初の鉄道はナポリから始まりました・・・」「イタリアの大学のはじまりはナポリです・・・」「外国の方は、イタリアと言えば、ローマ・フィレンツェ・ヴェニスなどを思われますが、本当のイタリアはナポリにあります・・・」。ナポリ自慢が多かったのは、郷土愛か、ご愛嬌か・・・。北イタリアの知人が、「南はイタリアではない」と言ったことを思い出す。歴史的にも、民族的にも、南北の違いは大きい。
急ぎ足のナポリ観光をし、12時に港へ戻る。

タグボートが付き添う出港の様子を眺めながら、「ナポリを見て、死ね・・・」の言葉を思い出す。ナポリの大パノラマの美しさは、海からの眺めでいっそう際立っている。

午後、スーツケースのパッキングで過ぎる。
ほとんどの乗船客はサヴォナ港で下船するらしく、クルーズの終わりの慌ただしい空気が流れている。会計の支払いも済み、旅の終わりを実感。

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