2012年4月30日月曜日

厨房見学、下船準備など

最後の終日航海 4月7日(木) 旅の19日目

最後の終日航海の日。高揚したクルーズの日々が、もうすぐ終わる。
船上の時間がどんどん過ぎて、ドバイ出航はずいぶん前のように感じる。
気が緩んだのか、咳がひどくて風邪気味なので、薬を飲み、休養を心がける。

9時過ぎから30分間、特別の計らいで、日本人限定の厨房見学へ。
毎日、3000人前後の乗船客を想定し(寄港地によっては、そこで新しく乗船したり下船していく客がいる)、国別や宗教別の割合と、特別食が必要かどうかをチェックするとか。
ドバイで主要な食材を仕入れ、新鮮な野菜や魚の食材は、寄港地毎に調達している。厨房の巨大な冷蔵庫が目に付く。

すでに昼食の準備が始まっている。パンが焼きあがり、香ばしい香りが漂う。野菜が次々に刻まれ、大きなステンレスのパッドに入れられて、冷蔵庫へ。

肉を切る人、魚をさばく人、使い終えた大きい鍋を洗っている人。役割分担が決まっていて、じつに手際がいい。
皿は1日3万枚使うので、皿洗い機が威力を発揮している。グラス類の洗浄も機械にお任せだが、種類毎に仕分けして、何カ所もあるバーに運んだりする作業もある。

厨房で立ち働く人は、白か黄色のバンダナ(ネクタイ?)を首に巻いていて、責任や経験の違いを区別している。船会社と半年から1年の契約をして採用され、原則として、途中で下船はできない。クルーズの裏方を支える過酷な労働を垣間見る。

続いて、下船に備え、日本人スタッフの文子さんの説明会へ。
キャビンのある階と下船後の行き先別に、荷物につけるタグの色が違うこと。
その色が、下船時の集合場所の色になっていること。その他。
「くれぐれも忘れ物がないように、クローゼットや棚、金庫を確認してくださいね」と、サボナ港下船までの細かい注意を聞き、クルーズの終わりを実感。

デッキに出ると、気温が低く、風が強くて吹き飛ばされそうだ。揺れに怖気づいて、早々とキャビンに戻る。

テレビをつけると、1時間ほど前に、仙台や水戸で余震があったと報じている。震度6強、マグニチュード7、4・・・。相変わらず、かなりの頻度で地震が続いている。毎日、BBCニュースが日本の話から始まるなんて、珍しい。それだけ、世界にとっては、強烈な衝撃で、特に、福島原発事故は、深刻な事態だ。

顔見知りになった外国人から、「日本の地震は、たいへんだなあ・・・」と声をかけられ、必ず、「フクシマの深刻さ」に同情される。その度に、たちまちに旅立ちの時点に引き戻され、気分が落ち込む。
それでなくても、旅が終わりに近づくと、浦島太郎の物語を思い出す。
特に今回は、厳しい日本の現実が待っている。束の間、日本脱出を決断したことが、人生の貴重な節目になったと、気持ちの揺れを伴いながら、身に染みる。

2時半頃、進行方向にシチリアの島影が見える。いくつもの小さな島々が、近づいては、過ぎていく。

6時過ぎから2時間半。日本の旅行社の招待で、眺望の素晴らしい10階のレストランで晩餐。夕陽に映えて、刻刻と変わっていくエトナ山のシルエットが、美しい。料理も素晴らしい。

夕食を終えて間もなく、メッシーナ海峡を通過。遠くに、濃く、薄く、町の灯が連なっている。しばしの散策後、キャビンへ戻る。そろそろ荷物のまとめをしなくちゃと、夜のプログラムはおやすみ。




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