2012年4月13日金曜日

ペトラ遺跡、ピンクに輝くエル・ハズネ(宝物殿)




【エル・ハズネ前の広場で見上げる観光客たち】

アカバ(ヨルダン)④ 4月2日(土)

道幅がやや広くなった場所に、第1番目の礼拝堂、少し行くと第2番目の礼拝堂と、次々に小さな礼拝堂が建っている。
「この礼拝堂は、イスラム後につくられました・・・」。
「キャラバンの安全を祈って、女神が祀られています・・・」
「この辺りのアッサラム山脈の神を祀った礼拝堂には、ローマ時代の彫刻が残っています」・・・。
造られた時代や対象となる神には、関連性がない。異なった時代に、ここで生活した人々が、自分たちの暮らしに深く関わった神に祈る為に、後世「礼拝堂」と称するものを造ったのだろう。日本の祠のような感じの素朴な造りだ。

所々に、人々が踏みしめ、角が取れてしまった古い石畳が残っている。岩山の道をキャラバンが行き交ったのだと、時空を超えた繁栄の名残りを探す。一度は砂に埋まってしまった道だが、新たにコンクリートで固めた部分もあって、やがては現代を示すことになる。

1985年に世界遺産に登録された人工のダムが見え、水脈の確保の知恵に唸る。

「暑いねえ。どうにかならないかなあ・・・」という弱音が、何時の間にか引っ込んでいる。代わりに「まだ遠いの?」と聞く声。ずいぶん歩いたが、冷んやりとした空気が心地よい。

次第に道幅が狭くなって、岩に挟まれる圧迫感と居心地の悪さを感じた頃、モハンナドさんが注意を促す。
「みなさん、落し物をしませんでしたか? 後ろを振り返って確認してくださいね。大丈夫でしたね。よかった。では、そこのカーブを曲がって、まっすぐ前を見ましょう」。

感動に包まれた一瞬だった。数メートルほど前方に、裂け目に差し込んでいる陽の光に浮かぶエル・ハズネが見える!。



【岩の裂け目からエル・ハズネが見えてきた】

「凄いなあ・・・」。だれともなく、唸るような歓声が立ち上る。
バラ色の岩そのものが、宮殿とも神殿ともいえる壮麗な佇まいの建造物になっている。こんな場所に!
時計を見ると、ちょうど3時。この日の、この時間を忘れることはなかろう。

「完成まで、たくさんの石工・彫刻家・設計者がここに住んで仕事をしました。
砂岩で崩れやすいので、下から上へと足場を組み上げ、ひたすらノミで岩を穿って彫刻をしながら、建物を造っていったのです。高さは28〜30メートル・・・」。

中央のイシス神は、ドゥールー族による破壊で、損傷が激しい。
建物の地下には、宝物殿だとも、墓だとも言われる部屋があり、壁にフレスコ画が描かれていた。古老の記憶を手繰っていくと、地下の部屋に、120年前位?から25年(1985年)前まで、人が住んでいたらしい。煮炊きに使った燃料の煙で壁が煤け、フレスコ画がダメになってしまったという。現在も考古学的な調査が続いている。 地下に降りる階段には網が張られ、中には入れない。未練がましく覗き込んだが、洞窟のような暗い空間があるだけだった。

ペトラ全域の発掘はまだほんの序の口で、30%しか遺跡は現れていないという。
エル・ハズネを仰ぎ見て、偉大な遺跡だと理解でき、今後の発掘の恩恵は子孫のお楽しみだと思った。

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