2012年4月23日月曜日

スエズ運河通峡始まる




【朝、スエズ運河の通過を目指す船が運河入口付近の海に集まっている】

スエズ運河通峡の1日② 4月5日(火)

終日航海をしながら、スエズ運河通峡の日。
昨夜から待ちわびていた朝を迎え、早速様子を見るために10階のデッキへ行く。
朝から張り切っている人は少ないらしい。目覚めの遅い乗船客が多く、閑散としている。

夜中から朝方にかけて、周辺の海には様々な船が集まっている。いずれも、スエズ運河を通峡する船だ。ソマリア沖を抜ける時にコンボイ(船団)を組んで急ぎ足に航海をして以来、「再びお目にかかりますね」といった感じだ。
スエズ運河は一方通行で進むから、各船は指令を受け、順番が決まるのを待っている。順番が決まると船団を組んで運河通峡が始まる。

朝食後、散歩しながら、スエズ運河を眺望する場所を探す。
陣取った場所は、太陽の動きを考え、日陰が確保できる10階左舷のデッキ中央部。屋根があるし、テーブルや椅子がある。中央の吹き抜けの場所からは、9階のプール、エンターテイメントの舞台、ストレッチのコーナーを見下ろせるから、気分転換にも好都合だ。右舷側へも、簡単に行ける通路があるし、船首と船尾近くには、カフェテリアのコーナーもある・・・。
自宅から、A3用紙に拡大したカラー地図を携えてきている。テーブルに広げ、航行の時刻などを書き入れることにする。スタンバイ、すべてよし。

9時20分。スエズ市の岸壁に、巨大な「163」の数字が見える。
地中海側の港町ポートサイドを起点にすれば、スエズ運河の全長163キロメートルの終着地を示す数字だ。紅海から北上すれば、出発地点になる。
「とうとう、スエズ運河を通るのだ」と、感慨にふける。



【運河へ次々に船が入っていく。船と船の間隔は1.8キロと決められている】

スエズ市を過ぎると、両岸に砂漠が広がっている。
それを遮るように、住宅地が現れ、モスクの尖塔がみえる。また、砂漠。
遥か彼方はナイル川か、その支流の水路だろうか。樹木が並ぶ地平線が続く。「あの木は、ナツメヤシだろうなあ」。また砂漠。

地点146(スエズ市から北へ17キロメートル)に、潜り込むような形の建物がみえる。「あれだ。アフリカ大陸とシナイ半島(アジア)を結ぶ海底トンネルの出入口じゃない?」。
茫漠とした砂漠と紅海の風景には、いささか不釣り合いな建造物で、周辺には広い駐車場がみえる。

第4次中東戦争(1973年)のとき、エジプト軍は、ここから紅海を渡る浮橋をかけて、シナイ半島に侵入した。作戦を指揮して1番乗りをしたのが、工兵少将アハマド・ハムディだが、戦死した。
彼の功績を偲び、間もなく浮橋に代わってトンネルが掘られ、「アハマド・ハムディ・トンネル」が完成( 1980年)した。

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