2012年4月15日日曜日

マサダ砦




【ロープウェイの中から見上げたマサダ砦】

エイラット(イスラエル)④ 4月3日(日)

11時近く、バスから80人乗りのロープウエイに乗り換えて2分、海抜0メートル!のマサダ砦に到着。ユダヤ人の高校生の団体が入場を待っている。砦は、ユダヤ人の歴史を象徴する遺跡として評価され、ユダヤ人の教育の一環として、訪れるという。

低地から盛り上がった岩を切り拓いた砦は意外に広く、360度の眺望が素晴らしい。次に訪れる海抜マイナス400メートルの死海が、南北に分断している様子がよくわかる。

砦は、ヘロデ大王(紀元前74?〜紀元前4年頃、ユダヤ王でエルサレム神殿を建設、新約聖書の「マタイ伝」には、予言を恐れてベツレヘムの幼児虐殺をしたとある)の命令で強固になったが、ローマ軍に征服された。

720年代の地震で崩壊して見捨てられ、今から40年前に発見されたばかり。
2001年には世界遺産に登録されている。

石切場がある。炊き口の跡が残るサウナ。シュロに泥を混ぜた屋根を葺いた家屋。室内には、大部分が剥げているが、鮮やかな色彩の壁画が残っているし、14棟の倉庫もある。
ユダヤ人の悲願を刻みつけ、その後はローマ統治強化の任務を負った兵(つわもの)共の夢の跡だ。



【マサダ砦から死海を上方に望む】

砦にまつわる話を聞く。
ヘロデ大王の死後、ユダヤ人勢力は急速に衰退する。
イスラエル・パレスチナ地方のユダヤ人は、帝政ローマの直轄統治と多神教の強化に抵抗し、ユダヤ戦争を起こして独立を目指した。軍事的には勝ち目がない戦いで、ユダヤ人の拠り所「エルサレム神殿」は破壊され、敗北した。

逃げだしたユダヤ人970人は、マサダ砦に辿り着いて篭城。
彼らは3万人のローマ軍の包囲に耐え、3年間の抵抗の末、集団自殺したという。
最期を迎えたとき、ユダヤ人は10人ずつのグループになった。各グループ毎に、だれかが任意に1人を指名したあとに殺され、同じようにして、残った者が順に指名しては殺されて、最後の1人が自殺したという。
まるでロシアン・ルーレットのような悲惨な話には先があり、7人のユダヤ人が生き残ったとか。
「ローマ軍のヨゼーフ・クラビアスが、捕虜にしたと記録しているのです」。

ユダヤ人の勇敢な歴史物語なら、彼らが信じるモーゼの十戒に”殺すなかれ”とあるのに、追い詰められた状況とはいえ、おかしい。
神妙に語り終えたガイドの顔をちらっと眺め、悲劇の受けを狙ったのではないかと、矛盾を感じた。

「ほら、白虎隊の話も同じようなものですなあ。これに似た歴史物語は、どこの国にもありますよ」と、こともなげに反応する男性がいたが・・・。

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