2012年4月23日月曜日

運河沿いの風景、ムバラク平和大橋や浚渫の様子




【日本の援助資金で建設されたムバラク平和大橋、スエズ運河を横切る唯一の橋】

運河通峡の1日⑥ 4月5日(火)

3時20分。ノルウェイ・スイング橋が現れる。両岸の岸壁に、可動式の橋が向かい合っていて、普段は使われていない。緊急非常時には結合され、アフリカ大陸とシナイ半島(アジア)の連絡路になる。運河の下にトンネルが造られたのも同じ目的だし、中東戦争の経験が、準備怠りなく続いている。



【ノルウェイ・スイング橋。今は使われていないが、いざという時に90度回転して運河を横切る輸送ルートとなる】

3時50分。左舷に、岸壁と中州を望みながら進む。中州の向こう側に、南に向かう9隻の船が並んで、待機している。その内3隻は中国の船だ。グレートビターレイクと同じように、ここも一方通行のすれ違う場所になっている。
中州は、とても長く、通り過ぎるのに25分もかかる。

中州や岸壁に止まっている浚渫船が、クレーンで砂を陸揚げし、トラックに積み上げると少し離れた場所に砂をおろし、平らにならし、戻って来る。
左舷の岸壁はるか向こうには、砂漠の砂が舞い上がって、靄っている。砂塵がまた運ばれて、浚渫作業は、運河が機能する限り、エンドレスで繰り返される。

とっくに第2期運河拡張工事の計画(運河の複線化、既存水路の拡張と増深)が立てられているのに、まだ着工していない。
エジプトが、イラン・イラク戦争(1980〜88年)、湾岸危機と戦争(1990、8〜91年2月)など、中東世界の不安定な情勢に巻き込まれ、石油価格の不安定な動きで国家の歳入は下がり、失業者が増え・・・、運河工事どころではないのだ。

4時20分。地点49。「ムバラク平和大橋」の下を通る。
橋下の中央部に、エジプトと日本の国旗「日の丸」が描かれている。
総工費の60%は日本政府の無償援助で、日本企業の技術(橋脚の外観は、高さがクフ王のピラミッドと同じ140メートルでオベリスクをイメージしたもの)によって造られている。エジプト人が親日的な感情をのぞかせるのは、この橋の建造によるところも大きいらしい。
橋は全長約9キロメートル。水面から橋桁までの高さは70メートル。
2001年4月に完成し、10月から開通している。スエズ運河に架かる既存の橋が、中東戦争で全て破壊されて、スエズ運河のアジアとアフリカの唯一の連絡路となっている。



【ムバラク平和大橋の下を通過。橋の欄干中央に日の丸とエジプト国旗が見える】

今春(2011年)の動乱で、ムバラク政権は崩壊したから、橋の名前の「ムバラク」は、早晩なくなるだろう。橋を見上げながら、しきりに、現代の世界の急速な動きを身近に感じ、平和と戦争が紙一重で存在する国の姿を考える。
クルーズのハイライトのスエズ運河通峡を、充分に楽しみ、大満足の1日だった。

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