2012年4月9日月曜日

エジプトの現実の姿を聞く




【道端で戦車が警戒にあたっている。動乱のさなかであることを知る】

サファガ(エジプト)③ 4月1日(金)
「エジプトで動乱が起こったのは、1月25日まで警察国家だったからです。
国民の29パーセントは学校へ行っていませんでした。国民の多くは、貧しいため、教育に対する意識がないためです。それを解決しない政府の問題、特に教育の重要性を考えなかったエジプトの現実があります・・・。」

窓外の風景の移り行きを眺めながら、ハイサムさんの話しに耳を傾け、旅に出かけると決めてから、切抜きをした新聞記事が重なってくる。
「中東政変 背景に人口増」(朝日新聞、2011年2月8日)の見出しで、エジプト観光の参考になるだろうと、持参している。

大略引用すると、以下の3点が指摘されている。
1、若い世代急増・・・動乱で失脚したムバラク氏は1981年に大統領に就任した。就任前の1980年と2010年の人口増は、国連の人口統計では、4400万人から8400万人になっている。特に若者の比率が高く、24歳以下は全人口の52パーセント(日本では約23パーセント)だ。
2、失業・食糧高に不満・・・急増する若者に、雇用の機会が生み出せず、エジプト男性の15歳〜24歳の失業率は23パーセント(2005年)。労働世代全体では9パーセントだから突出している。さらに食糧価格の高騰がある。砂漠の国は小麦を輸入に頼るので、世界の食糧事情の変化を受ける。
3、ネットが連帯生む・・・不満を耐えて来た人々は、国営メディアの情報統制と秘密警察の監視で、行動に移れなかった。しかし、1990年代以降、衛星テレビの放映が始まり、特にアラビア語の放送(アルジャジーラ、アルアラビアなど)が、アラブ諸国の政権に厳しい報道姿勢をとったので、”官製でない情報”を得られるようになった。さらに、ネットの普及で、市民自らが情報発信できる強力な道具を持った。動乱の連帯は、フェイスブックやツイッターなどのネットメディアが切り札となった。云々。

エジプト動乱の背景については、新聞記事程度しか理解していないが、渦中に身を置くガイドの話は、個人的な意見だとしても切実な生の声で、よくわかる。

「エジプトでしっかりしているのは軍隊です。今回の動乱で、国民は軍隊を信頼しました。エジプトでは、男性は20歳から30歳までの間に、高校卒業なら3年間、大学卒業なら1年間、兵役の義務があります。その証明書が、就職には必要なのです。兵役は視力や身体の障害があれば免除されるので、難聴や弱視のフリをして逃れる者もいますよ。さらに軍人(職業として)になるには、160センチメートル以上の身長がないとなれません。・・・」。
エジプトの人口急増の中には、周辺国からの出稼ぎも多い。家族で移民となった者は教育の機会から遠く、正規の就職の証明書をもらえず、スラムでの貧困を象徴する。育ち盛りの栄養不足から、身体的なハンデもある。

「エジプトの教育制度は、6・3・3・4制で、前半の6・3が義務教育です。小学生は共学で、中学生は別学になります。学費は年間2000〜3000円位。
義務教育以後の進学では、中学3年の成績で高校への進学が決まり、さらに大学へとつながっていきます。中学3年で将来が決まるので、とても重要です。普通高校は理系と文系に分かれ大学進学をするものが多い。他の高校では観光や農業の実学中心の教育をして、卒業後は就職をします。
大学生の92パーセントは学費が安い公立へ進学しますが、全国で15校ですから、競争が激しい。残りの8パーセントは、10校ある私立へ進学します。私立だと、学費が年間10万円かかるし、フランス系やイギリス系の学校へいくには80万円は必要です。そんな事情で、進学するのはお金持ちでないと難しい・・」。

エジプトで高等教育を受けられるのは、才能があり、本人の意志が強いこととともに、経済的に恵まれている階層であることも必要なのだ。貧富の差をなくすなど、教育が一般化する以前の問題の解決が、国家の将来を切り拓く要因だと感じた。同時に、革命を成功させるには、教育の力の認識が大切なのだと痛感した。
日本の明治維新以降の近代化でも、私学の多くが相次いで創立されたし、欧米のキリスト教宣教師が、伝道の手段とはいえ、志を高く掲げてミッションスクールを創設した。教育を重視して、多くの人材が育てられたのだ。

「エジプトのエネルギー源は、水力・風力・火力発電・石油・天然ガスなど、地域によって多彩です。石油は1日に50万バレル供給され、紅海やシナイ半島へ15万バレル運ばれています。ガソリンは1リットル当たり25円位。天然ガスは1立方メートルが9円位。その他の鉱物資源として、リン鉱石・銅・マンガン・金を産出します。古くから、ヌビア地方(ナセル湖に面して、スーダン国境に近い地方)は金の産出が多く、アブ・シンベル神殿の王の副葬品に使われていました・・・。」

やっと、エジプトらしい古代社会との繋がりが登場。
目的地のルクソールに到着する前に、エジプトの現状が紹介されて、「駆け足の観光では勿体ないなあ・・・」と、ため息が出かかっている。

0 件のコメント:

コメントを投稿