2012年4月23日月曜日

シナイ山麓に建つ聖カタリーナ修道院




【聖カタリーナ修道院全景、シナイ山(標高2、285m)は見えている山のさらに奥にある】

シャルム・エル・シェイク(エジプト)③ 4月4日(月)

10時近くに、シナイ山麓の「聖カタリーナ修道院」に到着。
エジプトにキリスト教(コプト教)が布教したのは、4世紀のこと。
313年、ローマのコンスタンティヌス大帝(280頃〜337年)が、ミラノ勅令でキリスト教を公認。皇帝の母親ヘレナが、337年に「モーセが燃える柴を見た地」に、聖堂を建造した。これが修道院のはじまりだ。

アレキサンドリアの豪族の娘・カタリーナは、子どもの頃からイエス・キリストについての知識に優れ、キリスト教を迫害していたローマ時代に、キリスト教徒であることを公にして、処刑されている。
彼女の名前をつけた「聖カタリーナ修道院」は、6世紀半ばに基礎ができ、当時の東ローマ皇帝ユスティニアニス1世(483〜565年)は、聖堂の周りに砦を築き、守備隊が警備にあたった。カタリーナ修道院の佇まいが要塞を思わせるのも、そうした背景があるからだろう。

世界最初の司教座がここに置かれたし、フランスのナポレオンが修道院の城壁の修復をしている。長年の盛衰を辿った歴史があり、由緒あるキリスト教の修道院だが、敷地内には、イスラム教のモスクがあるし、モーセの縁でユダヤ教の聖地でもある。辺りは自然保護地域になっていて、建造以来の佇まいは、ほとんど変わらないという。修道僧が観光客に指示をしているし、三つの宗教の聖地らしく、様々な巡礼者が訪れている。現実はともあれ、異なる宗教の共存を平和に現す場所だから、宗教の在り方を考えさせるし、実に面白い。巡礼者の心の内を知りたいとも思う。




【聖カタリーナ修道院の鐘楼、その向こうには別の宗派の塔がある】

バシリカ様式の建物の内部には、6世紀から17世紀にかけてのイコン(聖像)が並んでいる。古雅ともいうべき稚拙な筆致に、人々の祈りが込めれている。

修道院には、最盛期には400人を数える修道僧がいたとか。現在も、宗派をこえた修道僧が、自給自足の生活をしている。聖堂入口や各所で案内をしている人が、修道僧の衣服を着てお仕事中と知る。

カタリーナ聖堂内には大勢の人々がいるのに、祈りの場所の静寂に包まれている。
聖堂内は撮影禁止だ。胸のうちに、宗教のあれこれを問い、厳粛な気持ちになった。

モーセの井戸、カタリーナの遺骨(腕)、城塞、・・・。
修道院にまつわるものを次々に見て、11時半に観光終了。



【聖カタリーナ修道院周辺、ラクダに乗り観光する人、歩く人】

時間の短縮のため、ホテルのレストランを借りての昼食は、大きいランチボックスだった。「何人分になるのだろう」と驚き呆れたが、好きなものを召し上がれというサービスらしい。超スピードで昼食を終える。
このホテルは、以前は、サダト大統領の別荘(1970年から81年まで)だったとか。
現在は、敷地内にバンガローが点在するリゾート施設だ。

12時20分にはコスタ・ルミノーザ号への帰路につく。
帰りの車中、ハイサムさんが「スエズ運河講座」を展開し、明日のスエズ運河通峡に備える。上陸観光は慌ただしかったが、4時の出港にギリギリ間に合って、大満足。

部屋のバルコニーから離岸風景を眺めながら、くつろぐ。
シャルム・エル・シェイクの海岸は、ヨーロッパにも広く知られるスキューバダイビングのスポットだ。洒落た小船が次々に通り過ぎて行く。エジプトの動乱は、ここでは無縁なのかと、ふと想う。

紅海の北上につれて向かい風が強く、珍しく船体が揺れる。温度計は、外界気温23度C。左舷にアフリカ大陸、右舷はシナイ半島。共にエジプトの領土だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿