2012年4月23日月曜日

シナイ山へ






【海から見たシナイ半島の印象】

シャルム・エル・シェイク(エジプト)① 2011年4月4日(月) 旅の16日目

昨夜8時頃に出港した船は、アカバ湾を南下し、今朝シナイ半島先端のシャルム・エル・シェイク港に接岸した。午後4時には港を離れるので、観光はシナイ山麓にある聖カトリーナ修道院だけだ。

ルクソール・ペトラ・イスラエルと続いた寄港地観光には、上陸せずに船に残るお仲間が増えてきた。満足感と疲労感がないまぜになっているが、多分、この辺りへの旅は出来ないだろうと、老体をムチ打って出かける。早々と集合、7時15分にはバスは走り出す。

ルクソールを案内してくれたハイサムさんが、再び、カイロから駆けつけ、新たにマネージャーを名乗る2人のスタッフと、ドライバー1人が加わる。なんとも物々しい。走り出してまもなく、警察官が待ち構え、手続きで10分間もストップ。

エジプト動乱でムバラク大統領が失脚し、別荘のあるシャルム・エル・シェイクに逃げた。十数人の高官も一緒で、特に内務大臣は嫌われていた。
新たに発足した政権は今後の動きに神経を尖らせ、一般のエジプト人は原理主義の法律ができるのではないかと心配している。
ムバラクはドバイとサウジアラビアへの往来をしているらしいとも、健康状態が悪くて入院しているとも言われ、現在、ここにいるかどうかは、わからないらしい。厳戒体制が布かれている背景が、わかる。

「昨日、カイロは大雨でしたよ。砂嵐がおさまるので観光には好都合です。シナイ山でも期待しましょう」。




【シナイ半島の航空写真、グーグル・マップから引用】

シナイ半島の南部にあるシナイ山は、港からドライブで3時間弱。
シナイ山が宗教の聖地なら、シナイ半島は第二次世界大戦後の冷戦構造のなかで戦った中東戦争(注)の舞台だ。歴史的には、もっと理解したい地域だ。

(注)中東戦争・・・イスラエルとアラブ諸国間は、第1次(1948〜9)、第2次(1956)、第3次(1967)の中東戦争で対立。イスラエルがシナイ半島を占領すると、これに対して、エジプトがスエズ運河を封鎖。国連決議で休戦はしたものの対立は解けず。第4次(1973年)の戦争で、エジプトはシリアとともに、イスラエルからシナイ半島の一部を奪還し、有利な休戦協定を勝ち取った。

辺りに連なる山々が、ギザギザと波打っている。形が歯に似て並んでいることから
「歯=シーナ」からとってシナイ山といわれるとか、「月の神=シン」から名付けられたとか、諸説あるそうな。
モーセが十戒を授けられた山といわれるのに、「シナイ山」と特定する山はどれだか不明で、「ガバル・ムーサらしいと、言われますが・・・」とガイド氏。
この辺りでは、古くから、トルコ石や、マンガン、リン鉱石を産出し、単なる砂漠ではなく、経済的には大事な場所だという。

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