2012年4月13日金曜日

砂漠ハイウエイの車中で現在のヨルダンを知る




【ペトラ遺跡への途上で見かけたベドウィンのテント村】

アカバ(ヨルダン)② 4月2日(土)
バスは、赤茶けた岩山の砂漠ハイウエイをひたすら走る。
ヨルダンの生命線であるアカバからシリアまでの道は、すでに鉄器時代には通じており、隊商が往来した。最近は隊商ににつきもののラクダに代わって、トラックを利用する方が多い。また、今でもハイウエイの砂岩地帯は、年間2センチの隆起があるという。

ときどき、テント生活をしているベドウインの集落が現れる。テントにテレビのアンテナがあるし、道路で携帯電話をかけている男性がいる。政府からの援助で半定住をするベドウインが現れ、スイカやジャガイモを栽培したり、オリーブの木を育てたりして生計を立てている。たくさんの羊の群れが、ノンビリと貴重な草を食んでいる。
古い生活と新しい生活が渾然一体となっている現在の様子に、暮らしが変化していく過程も想像できて、面白い。

一方で、ヨルダン人口の0、02%(1200人)はロマ人(=以前はジプシーと言ったが差別用語、インド系やアラビア人が多い)で、季節に応じて移動し、スリ・盗みで生活している。ロマ人が移動すると、ヨーロッパの観光地の各国大使館が、在留者に警報を出して注意を促しているほどだ。

ロマ人は身分証明がないので就職できないし、結婚の登録もできない。おまけに、結婚すると男性は働かず、女性と子どもが物乞いをして暮らす。
「ロマ人もテント生活をしていますが、ベドウインとは大違いです」と、モハンナドさんは嘆く。

「こんなところにレールがある!」と、誰かが驚いた声をあげる。
「あれは、人が利用するのではなく、アカバ港から輸出するリン鉱石を運んでいるのですよ」。折りよく、列車がノンビリとやってくる。

それをきっかけして、ヨルダンの経済や産業の話題に発展。
ヨルダンの国家経済で主要な役割を果たしているのは、リン鉱石・セメントの輸出と、観光業だ。
「出稼ぎに出かける者も多いですよ。彼らの99%は貯金して帰国しますから、個人生活にも、国家にも、大きな助けになっています・・・」。

一方、サウジアラビアからタンクローリーで原油を輸入し、エジプトからは天然ガスを買っている。福島原発の事故が起こったので、日本政府との間で進んでいた原子力発電所の開発は、キャンセルになった・・・。
中東の地にあっても、ヨルダンのエネルギー政策はたいへんだと感じる。

物流の基地らしい倉庫が現れ、軒を連ねている。そこを過ぎると、ちょっと賑わう街中を走り抜ける。蛇がのたうち回るようなアラビア文字の表示を眺め、地図を見つめても地名はわからない。
延々と砂漠を辿る道中は、変化に乏しい。高速道路を悠々と横切って行く羊たち。それを急かせるでもなく、ノンビリと待っている観光バス。時間への感覚に戸惑うのは、せっかちに生きている日本人だからだろう。

アカバを走り出してから2時間半、ペトラに到着。

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