2012年4月23日月曜日

「イタリアの夕べ」に誕生日を祝う




【船室のテレビで航跡図を見ると、すでに地中海に出て、北上している】

スエズ運河通峡の1日⑦ 4月5日(火)

4時45分、部屋に戻る。振り返ってみれば、スエズ運河に夢中になっていた間、1度も部屋に帰っていない。さすがに、疲れた!!

6時15分からの夕食は、「イタリアの夕べ」と銘打ったものだ。
そろそろ食事が終わる頃、忙しく立ち働いていたスタッフが、歌や踊りを披露し、イタリア風に陽気なドンチャン騒ぎになる。いつ練習したのか、芸達者な者が多くて、感心する。最後はスタッフに誘われた乗船客が次々に加わり、肩に手をかけ、リズムに乗ってレストランのフロアを歩き回る。息を弾ませて、やっと席に戻る。ハア、ハア、・・・。

さらに、日本人グループのオプションで、クルーズ中に誕生日を迎えた者(11人参加の内、4人)の合同誕生パーティーがあった。私もその1人で、喜寿を迎えた。
ダイニングスタッフと一緒に、「ハッピー・バースデイ・・・」を歌い、ケーキで祝い、ラクダの骨にヒエログリフ(聖刻文字)で名前を彫ったキーホルダーをプレゼントにいただく。



【ラクダの骨にMIYAKOとヒエログリフ(注)で彫ってあるキーホルダー】
(注)ヒエログリフは、古代エジプト文字のひとつ。絵文字から発達したもので最初から完成した形を持ち、メソピタミアの影響が考えられる。主に碑文などに用いられたので聖刻文字と訳す。1799年のナポレオンのエジプト遠征の際、アレキサンドリア付近で発見されたロゼッタ石に刻まれた3種の文字のうち、シャンポリオンが解読した部分がヒエログリフ。

夕食中の7時頃、船は地中海へ入る。
9時半から「イタリアン・パーティー」がある。1時間ばかり覗いたが、ご老体には付き合いかねると、早々に部屋へ。

最後の締めくくりとして、スエズ運河に引き込まれたことを、付け加えておこう。
私の読書対象に、世界各地に駐在する新聞記者が書く、ノンフィクションがある。
中東を知る手がかりは、牟田口義郎の著作が多い。
牟田口義郎は、酒井傳六の後任として朝日新聞のカイロ支局で活躍した。
酒井が、予想だにしなかっ怪我の後遺症で逝去し、続編の期待がなくなったとき、1975年以降のエジプトの動向を牟田口が「終章」として加筆し、朝日文庫(1991年)になった。見事なタックルだった。

2011年3月11日3時46分、東日本大地震発生。水戸でも激しく揺れた。
書斎の造り付けの南北側の本が全部飛び出し、東西側も飛び出したり、辛うじて宙ぶらりん状態で、床には書籍が堆積した。その一番上に、上記の二人によって完成した著書「スエズ運河」があった。

すでに書いたが、中東の政治情勢の変化で、旅に参加するか否かの問い合わせがあり、地震が追い討ちをかけた。
今にして思えば、「スエズ運河」の文字に誘われて、中東へのクルーズ参加を決断した面もある。

記念すべき、スエズ運河通峡を果たした1日。
おやすみなさい。

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