2012年4月9日月曜日

ルクソールのカルナック神殿




【カルナック神殿、スフインクスの並ぶ参道から】

サファガ(エジプト)⑤ 4月1日(金)
走ること2時間半。道中のハイサムさんのエジプトについての講義?が面白くて、退屈しなかった。ルクソールのカルナック神殿に到着し、古代エジプトの遺跡巡りが始まる。

「ルクソール」はかつて「テーベ」と呼ばれ、古代エジプトの政治・宗教・文化の中心として栄えた古都だ。
テーベは第11王朝(中王国時代)から首都になったが、それがきっかけで、テーベの市神だったアモンが、諸神の王の地位を占めた。「アモン・ラー」として、「太陽神ラー」と同一視され、 国家の最高神となったのだ。

アモン・ラーのために「カルナック神殿」が建造された。
古王国時代の王(ファラオ)は、太陽神の子で、神と考えられていた。
新王国時代になると、王はアモン神の庇護を受けるものに変化し、諸王は競ってアモン神に捧げる神殿・オベリスク・神像の建造を進め、長い年月をかけて、カルナック神殿は出来上がった。

ずらりと並んだスフィンクスに迎えられる恰好で、参道から入る。
そこから先は、感嘆詞を発しながら、迷路を辿る感じだった。あらわれる全てのものに、圧倒された。写真集や図録を眺め、書籍を手にしてイメージしたことが、知っていたつもりのことが、空中分解している。
エジプトのファラオの権力の凄さに、言葉なく、唸るのみだ。

ラムセス2世(前1290〜前1223 第19王朝のエジプト隆盛期の最後の王)像。とてつもなく巨大で、胸に手を合わせ、正面を見据えて立っている。

134本の開花パピルスの石柱が並んでいる。紀元前3000年頃に、すでに紙の1種として利用されたパピルス(カヤツリ草)を束ねた形の石柱。花と蕾が、高さ27メートルもある柱の頭部を飾っている。柱には絵が刻まれて、すでに崩落したものもある。なるほど。こんなにたくさんの柱は、記録のために造られたのだろう。

さらに進むと、一枚の石で建造されたオベリスク(注1)がある。横倒しになっているのは、ハトシェプスト女王のオベリスク。夫トトメス2世(注2)亡き後、幼なかった息子トトメス3世(第18王朝、紀元前1502?〜1448年? )の摂政となり、その後、エジプト初の女性ファラオとなっている。

(注1)オベリスク・・・古代エジプトの記念碑。太陽神ラーの光の矢の象徴と言われる。エジプト遺跡発掘に従事したヨーロッパの国々が、オベリスクを自国に運び出し、中でも、パリにあるオベリスクは有名だ。ファラオの遠征記念に造ったオベリスク、例えば、トトメス3世の遠征記念オベリスクは、イスタンブール、ローマ、ロンドン、ニューヨークに運ばれている。

(注2)トトメス2世・・・ハーレムの側室の生まれだったが、正室の子のハトシェプストと結婚したので、正当な王となった。しかし短命で、妻や息子のトトメス3世(シリア・フェニキア・パレスティナ・ヌビアを征服し、エジプトの最盛期を出現している)の偉業の前には、影が薄い。エジプトのファラオですら、権勢を誇る女房には頭があがらないという裏話に、人間臭さを感じて、面白かった。

大スカラベ(フンコロガシ)前で自由行動になり、思い思いに歩く。
丸いスカラベは、太陽を象徴して造ったものだとか。その背後に、「聖なる池=浄めの池」が見える。池は、地下でナイル川につながっている。

ファラオの絶大な権力と自己顕示欲が、途方もない規模壮大な建造物を造った。
天文・土木建築の知識をはじめ、それを実現した技術力と驚異的な財力を確認して、「百聞は一見に如かずだ」と痛感。
また、自分よりも前のファラオの建造物を破壊して、その石材を再利用した偉業!を眺めながら、「後は野となれ山となれ。知ったこっちゃないよ」と、自己中心のファラオの短絡的な考えが伺えて、呆れてしまった。

外へ出ると、集落のモスクから、お祈りやお説教の声が鳴り響いてくる。今日は金曜日で、イスラム教の聖日だ。モスクに入りきれない人たちが、外でお祈りをしている。たった今観たばかりの過去の世界と、生活に根ざしている現代の一神教の世界が対比されて、エジプトの宗教の不思議さを感じた。

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