2012年4月2日月曜日

バスの窓外を眺めながらオマーンの近代化を思う




【オールド・マスカット(宮殿・行政庁などが岩山に囲まれてある。
画面左上に二つの要塞が重なって見える】

マスカット③ 3月25日(金)

バスで窓外を眺めながらの観光は、ガイドの説明が楽しい。
マスカット観光のお目当ては、「スルタン・カブース・グランド・モスク」だったが、金曜日はイスラム教の聖日。カメラストップだけだった。

モスクは、現在のオマーン王スルタン・カブースが命令して、6年の歳月をかけて、2001年に完成。オマーン最大の2万人を収容する華麗なモスクの存在は、新しいオマーンを象徴するものだ。1970年、カブースは宮廷クーデターを断行して父王を退けて即位すると、開国へと舵を切った。オマーンの近代化とアラブの伝統を守る政策の展開は、国家の安定を実現した。

国民の信頼と尊敬の念は、現地ガイドのアブドゥッラ氏が説明する言葉にも溢れている。それも、「何者かに言わされている」のではなく、自然に・・・。
スルタン・カブースは、国王としてのカリスマ性を持っているのだろう。

意外だったのは、モスク建造の資金は、UAEのアブダビ首長の寄付でまかなわれたと知ったことだ。はじめは奇特な隣人がいるものだと思ったのだが、アブダビ首長が「イスラム文化を広める目的」で大金を出したのだ。
アラビア半島の地図を眺めれば、アブダビとマスカットはとても近い。部族支配時代の王族同士の親近感が、その後引かれた国境には関わりなく続いている。アラビア半島の国々には、古くからの繋がりが強いことも理解した。

部族内の絆が安定し、部族間の友好があって、イスラム圏の安定がもたらされる。UAEとオマーン両国に共通するのは、国民が、大統領や王に絶対の尊敬の気持ちを持っていることだ。期せずして、モスクがその象徴になっていることを知った。

バスは、遠くにオマーン湾を臨みながら、岩山の間に延びる道路を走る。かつて隊商が辿った路だ。海岸近くに浮かぶマスカット島。島を抱え込もうとしているかのような入江。その両端の高台に、ミラニ要塞とジャラリ要塞が向き合っている。岩山と海に挟まれたこの狭い地域はオールド・マスカットと呼ばれ、首都マスカットの中枢だ。宮殿(アラム・パレス)の周辺に、国の主な行政庁が置かれている。

要塞はオマーン人が造ったが、進出したトルコ人が破壊し、その後、ポルトガル人が建造。40年前までのオマーンは、イギリスの介入で内戦状態を続け、不安定な政情だった。そこからの転機をもたらしたのが、すでに書いた1970年のカブース王の即位であり、翌年のイギリス軍の撤退だった。外にも内にも多事多難な時代を経て、要塞は、歴史を凝縮しているかのようで、印象的だった。
現在のミラニ要塞は、陸軍の基地になっている。

ついでだが、イギリスはオマーンからの撤退を決めたとき、ホルムズ海峡に突き出しているムサンダム半島の先端だけは返さなかった。ここに飛行場があるからだ。昨夜半、その半島沖を通過したが、陸地は闇に沈んでいた。
昨秋のクルーズで通過した、大西洋から地中海へ通じるジブラルタル海峡でも、迫り出しているスペイン領の一部はイギリス領で、そこにイギリス軍の飛行場があった。かつて植民帝国として君臨し、ここぞという場所を未だに確保している。改めて、イギリスの世界戦略の強かさを痛感した。

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