2013年9月15日日曜日

【NYへの旅】2. ニューヨークへ旅立つ




【ケネディ空港着陸直前。眼下に見えているのは、ジャマイカ湾の南端を縁取るロッカウェイ地区】

1日目 3月16日(土)その1

長い1日だった。成田空港発が11時で、諸手続きに時間がかかる。逆算すると、当日水戸から出かけるには慌しい。昨日は空港近くのホテルに泊まった。
日本出発前夜の恒例で、無事な旅を祈って和食で乾杯した。

夫は5年ぶり、私は15年ぶりだから、久しぶりのアメリカへの旅になる。
9、11事件以後は、どこの空港でも出入国審査に時間がかかっている。だが、アメリカ行きの、聞きしに勝る厳しい審査には驚いた。
通関手続きでは、旅券を念入りに眺め、顔写真を撮り、指紋を押し・・・。
どこの空港でもやることだから、まあ、これはお仕事だと理解する。

さて、出国審査の第1段階。コート、カーディガン、帽子、ベルト、靴、手荷物など、ひとつづつトレイに乗せ、ベルトコンベヤーで運ばれてX線でチェック。
人間は裸足になって、手を上げる降参スタイルでX線を通ると、頭から足先まで長い棒(探知機か)と手で、ボディチェック。
第2段階。X線で確認されたはずのパソコンは、今度はケースから出し、起動のスイッチを入れさせられた。もちろん手荷物のすべてを広げ、ひっくり返して隅々まで確認。どうやら人によってチェックの難易があるらしく、夫はスイスイと手続きを終え、もたついている私の様子を眺めている。

チェックが終わると、靴を履き、コートを纏い、荷物を元に収め・・・。
上気した顔と汗だくの身体の不快さで、次第に旅立つ気持ちが萎えていった。
テロを回避するためには当然だろうし、致し方ないか。だが人間不信丸出しのチェックには気が滅入った。
「アメリカへは、もう出かけることはないだろう・・・」と感じながら、搭乗口へ向かった。

日本時間では昼食だが、たぶん夕食になるらしい食事が終わると、後はひたすら飛行に身を委ねるだけだ。

映画「リンカーン」を観ているうちに、集中力が途切れて眠くなり、1時間ほど仮眠した。東への飛行は日付変更線を越えるし、ずっと夜が続く。機内も夜のムードで、大半の乗客は眠っている。ニューヨーク時間に時計を合わせると、朝の6時10分を差しているのに、空は暗い。予定では10時半着だから、まだ4時間もある。

7時半、機内のライトがついたが外は闇だ。すでにサマータイムが始まっているから、なおさら日の明けるのが遅い。眼下には、家々の灯りが瞬たいている。車のライトから道路の方向が掴める。

8時。窓外が仄かに明るくなって、朝焼けの地平線の丸みが、広がっている。
アメリカでは朝食になるサービスが始まると、食いしん坊の夫は「夕食が抜けたなあ」とぼやいている。「食べるだけで動かないのだから、ブロイラーになる」と冷やかす。

目の前のパネルで、飛行ルートを眺めていると、意外に地名が面白い。
いつ頃、誰が、どんな背景で名付けたのだろうかと、想像が拡がって行く。
「グラスゴー」がある。スコットランドからの植民者が出自を留める望郷の念からか。
人を食ったような地名が次々に現れる。「デビルス」のつく地名は、たいへんな経験をした人々の気持ちが込められている感じだし、「リサーチャー」は文字通り、開拓者の調査探検を表したのだろう。「クレイジー」なんて、ここに住む人がやけっぱちになっているようで笑ってしまう。
「ニュー」をつけた単純な地名は、植民者の出身地に違いない。
訪れるニューヨークは、17世紀初頭からオランダが進出してニューネーデルランドを領有し、拠点として1626年にニュー」アムステルダム市を建設したのが始まりだ。その後の何度かの英蘭戦争でイギリスが勝ち、1664年にイギリス領になった。当時のイギリス王ジェームズ2世(ヨーク公)に因んで、ニューヨークになった。

地名から連想して、そこに住む人に対して想像力を逞しくし、アメリカの開拓・植民時代の歴史に思いを馳せて、退屈しなかった。

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