2013年1月9日水曜日

7月15日(日)午前、 雨の聖日はイエズス会のミサへ。




【イエズス会聖堂正面の聖壇、他のカトリック教会に比べて簡素な印象】

朝から雨が降り、参加予定のゼーフェルト行きは中止になった。トラッツベルク城とシュトゥーバイタールへは、予定通りに決行するとか。

ヨーロッパの旅では、日曜日には「聖日礼拝」へ行く気持ちになる。門前の小僧の習性か・・・。
市内地図を眺めると、旧市街にいくつかの聖堂や教会がある。
「観光客でいつも賑わっている大聖堂は、聖日の午前中は観光客お断りだろうね」と、その近くのイエズス会の聖堂へ出かけることにした。
「日本にキリスト教を伝えたのは、”イエズス会”のフランシスコ・ザビエル(1506〜1552)だったから・・・」という、極めて単純な理由だ。
それに、日本人が長期滞在しているもうひとつのホテル「クラウアー・ベア」のまん前にあるから、ついでに寄ってみよう、と。

10時半過ぎに聖堂内に入ると、男性が独唱中。静謐な空間に朗々と歌声が響いて、まだミサは始まっていなかった。

11時。パイプオルガンの前奏に合わせて、乳香の煙を盛大に振りまき鈴を鳴らしながら、数人の僧侶に先導されて薄緑のガウンをまとった司祭が現れた。
お祈りをし、聖書を読み、司祭の話があり、補助役の女性が話し・・・。
その合間には、会衆一同で起立して讃美歌を歌った。着席した場所に讃美歌の本が置いてあり、柱にあるパネルには、次に歌う讃美歌の番号が表示される。
歌った讃美歌は640、463、464、530、469、470、637番。ミサの始まり、主題の説教に合わせ、終わりの讃美歌へと、進行の様子が理解できた。

後半は聖餐式。信者が祭壇前に出ていき、両手でパンをおし頂いて口へ入れ、席に戻ってくる。聖餐を受ける長い列が続いたのは、街の住民だけではなく、観光客もいたのだろう。
12時過ぎ、参列者が前後左右の人たちと握手して 挨拶を交わし、ミサは終了。

改めて聖堂内を見回すと、木彫の装飾が中心で、落ち着いた質素な佇まいだ。
聖堂内はほぼ満席で、ざっと100人から150人は集まっているだろうか。
圧倒されるような装飾で溢れる大聖堂のミサに比べると、雰囲気はずいぶん違うだろうと想像した。カトリックのイエズス会のミサは、プロテスタントの礼拝に通じる印象だった。

日常の暮らしの節になる聖日に、こうしてミサに連なっている人々の姿を眺めながら、思った。
洋の東西を問わず、宗教の違いを超え、なにものかを信ずる生き方とは何だろうと。宗教を熱心に説く人々が、立場を異にする者を退け、ときに争いや暴力を肯定する。彼らの信仰の具体的な姿が、理解できない。一方では、信仰とは関わりなく、人生を丁寧に生きている人々がいる。ある宗教が成立する時代の必然は理解できるし、その宗教の始祖は偉いと思う。だが、その教えが組織化されるにつれて、膿んでいく気がする。堕落が始まると。

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