2013年2月5日火曜日

7月17日(火)ホウフ・ブロイハウスの夜

ミュンヘンと言えば、ビール。「乾杯」を歌いながら、酒場でビールを飲むのも旅の目的のひとつ。
中学の地理の授業で、ビールの美味しい土地は「札幌・ミュンヘン・ミルウォーキー」と習った。アルコールには縁のない年齢なのに、しっかりと記憶に残ったのは、語感のリズムのよさからか。ビールの味に拘って飲むようになってから、この三都市がほぼ同じ緯度にあり、ビール醸造の好条件を備えていることを再認識したのだけれど・・・。

あらかじめ、鈴木さんから「初日の観光が終わってから、ビールを飲みましょう。どこかご希望がありますか」と聞かれ、夫は「ミュンヘンの酒場なら”ホウフ・ブロイハウス”に、ぜひ行きたい」と希望を出した。
その念願が叶えられ、3組の夫婦と鈴木さんの総勢7名が、ホウフ・ブロイハウスで大いに盛り上がって、一夜を過ごした。

入り口を入った途端、民族衣装姿の従業員が目の前を急ぎ足で過ぎる。両腕いっぱいにジョッキを抱え、赤く上気した顔。
ビールを飲んでいる人々の陽気なおしゃべりをかき消すように、民謡を演奏する音響が溢れている。
楽団の舞台を取り囲んで通路が四方に延び、そこにブロック席が面している。ほとんど空席はなく、人、人、人・・・。いったい、どの位の人がいるのだろう。

これじゃ、みんな揃って席を確保するのは厳しい。殿方が散って席探しを始める。
通路を一回りして最初に戻ってきた人曰く「無理だなあ。空いている席にバラバラに座るしかないなあ・・・」。
「この混みようじゃあね・・・・」と周りの席を見回すと、ひとつ、ふたつなら空席はある。「せっかくなのにね・・・」と諦めかけたとき、最後に戻ってきた夫から朗報あり。「庭まで見たけれど、なかった。そこまで戻って来たとき、まとまって座れるコーナーがあったんだよ」と。
「楽団のいる舞台の真後ろのコーナーに、ひとりの若い男性だけが座っている。”このテーブルは空いていますか”と聞いたんだよ。”どうぞ”って言うから、”グループで相席するのですが・・・”と言ったら、”大丈夫”だって・・・」。

揃って席を確保すると、殿方は1リットルジョッキのビールを、女性はラドラー1リットル1杯を注文して3人で分け、「乾〜杯!!」。
ミュンヘン名物のヴァイスブルスト(白ソーセージ)や、肉団子、ポテトフライ、酢漬けのきゃべつを炒めたものなど、夕食代わりになる皿を頼んだ。

周囲の混雑と喧騒とは全く関わりがないかのように、ひとりで座っていた青年は
ベトナム人だった。青年の隣りに座った夫が話しかけると、「ぼくの人生は、長い長い物語りです・・・」と言い、ポツリポツリと家族の体験を語った。
ベトナム戦争で両親が国外に脱出し、最後はアメリカに辿り着いたこと。
やがて小さな事業を始め、順調に発展したこと。
事業が軌道に乗った頃に、青年が誕生し、アメリカで教育を受け、大学を卒業したこと。「僕はベトナム戦争を経験していないけれど、両親の苦労は知っています。アメリカが家族を救ってくれた・・・」と言い、大学卒業後、アメリカに進出しているスイスの企業に就職し、ほどなくスイス駐在になった。
今日は休暇でミュンヘン観光に来て、初めてこの酒場を訪れた。云々。

この席が空いていたのは、陽気な観光客が青年に近寄り難い空気を感じたのかもしれない。ひとり疎外感を味わっていたときに、思いがけずに声をかけられ、賑やかなグループと休暇のひとときを一緒に過ごせたらしい。
青年は「ありがとう。よい思い出になりましたよ。ミュンヘンを楽しんでください」と言い、帰って行った。

民謡は絶え間なく演奏されている。何度も何度も「乾杯」のメロディが響き、それに唱和して、陽気な歌声が広がる。観光客がビールを提供し、演奏する人たちも、代わる代わるにビールのジョッキを飲み干して、赤い顔をしている。

近くの席では、誕生パーティーをしている。演奏者がやって来て、何やらお祝いの挨拶をし、「ハッピー・バースデイ」の曲を奏でると、パーティー参加者ばかりか近くの人たちも一緒に歌い出す。私たちも歌った。なんと賑やかなこと。

「トイレでは、入り口から行列ができているよ。ビールを飲めば当然の生理現象だけどね。それに中は 意外に広くて、ズラリと並んでいるのは、壮観だったなあ」。
愉快なトイレの様子を聞いて、大笑いした。

ミュンヘンの酒場で、旅仲間は、飲んだり、食べたり、歌ったり、青春気分で盛り上がった。そうだった。この酒場で、ヒットラーが演説したのだ。
陽気で和やかな空気を身体いっぱいに感じながら、これこそ酒場本来の姿だと思った。
ベトナムの青年が帰った後、「ベトナム戦争末期の頃は、無茶苦茶に働いていたなあ」と、呟いた男性たち。企業戦士として、日本の高度経済成長を支えた。

旅先で出会った人や訪れた場所を通し、自分たちの生きている時代の体験を、遠い過去の出来事として忘れてはいけないなと、改めて思った。

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