2013年2月5日火曜日

7月17日(火)ヴィッテルスバッハ家のレジデンツ(宮殿)

「レジデンツ」は、ヴィッテルスバッハ家の宮殿だ。
ヴィッテルスバッハ家は、バイエルン公から神聖ローマ帝国選帝候へ、さらにバイエルン王へと権勢を高めた。それに伴って、14世紀後半から建造されてきた宮殿が広げられ、歴史の舞台になった。宮殿全体が過去の栄光を閉じこめて、博物館になっている。

入館すると間もなく、「祖先画ギャラリー」へ。レジデンツの栄光を担った歴代の面々が肖像画に収まっている。120人以上も並んでいるのだから、だれがだれだかわからない。どんなに立派に描かれた肖像画でも、ほとんど関心を引かず面白くない。「ごめんなさいね」と足早に通り過ぎる。

印象深かったのは「アンティクヴァリウム」だ。トンネル状の丸天井や壁に描かれたフレスコ画が美しい。壁に沿って飾られている古代彫刻に、天井の窓から差し込む陽射しが照り映えて、明るく華麗な空間になっている。その素晴らしさに圧倒された。

神聖ローマ帝国の選定侯になった記念に造られた「バロック様式の間」は、高揚したヴィッセルバッハ家の権威が窺え、レジデンツの存在を如何なく示している。
謁見の間、鏡の間、ベッドルーム、皇帝の間・・・と、豪華な部屋が並び、一族の宮廷内の生活を彷彿させる。
ベッドルームには、1961年、イギリス女王エリザベス2世(1952〜在位中)が泊まったとか。第二次世界大戦では、イギリス本土がドイツの空爆にさらされ、イギリス空軍のドイツ猛爆も激しかった。半世紀前の若かりし女王は、どんな気持ちだったろう。もっともエリザベス女王の系統はドイツのハノーヴァー家に遡るから、お里帰り?の意識もあるだろうか。両国の関係を考えながら、いい時代になったとも思った。
王宮ではいちばん大きい部屋「皇帝の間」は、建造当時から国家行事の舞台で、現在も宴会場として使われていると聞いた。

「冬の庭園」は、周囲をガラスで覆ったテラスで、厳しい冬でも草花に囲まれ、貴族がお茶のひとときを過ごしたという。ゼラニュームの鉢が並んでいる。贅沢な空間を暖房するのは、どんな仕組みがあったのか。さぞ大変だったろうと、余計なことを思う。

ヨーロッパ諸国の王室が、古くから経済的交流を盛んに行っていることも知った。ベルギーやオランダで製作された絨毯、オランダを通して中国からもたらされた陶磁器などに、その様子を偲んだ。

ヨーロッパ諸国の王が、惜しみなく財力を注いで宮殿を建造し権勢を誇った。例えばヴェルサイユ宮殿やシェーンブルク宮殿。ミュンヘンのレジデンツも同じだ。
すでに宮殿の主の影はないが、宮殿そのものが重要な観光資源になっている。「虎は死して皮を残し、王は去りて宮殿を残した」のだから、無駄ではなかったのだ。

およそ1時間半、入り口で貰ったパンフレットを手に、ルートを確認しながら辿った。部屋が次々に複雑に続いているし、仲間がいるから遅れないようにと気遣うし、ときには他の観光グループに紛れ込む心配もあり、ゆっくりと眺めるわけにはいかない。
展示品はあまりにも膨大だから、急ぎ足の鑑賞で疲れ、次第に重苦しくなった。威容を誇る宮殿を楽しむためには、体力が勝負だと痛感し、触りだけの観光終了。

外に出ると、すぐ近くに「バイエルン州立オペラ歌劇場」が見える。
19世紀初頭のミュンヘンは、ルートヴィッヒ1世の尽力で芸術の都として輝き、その証が王立劇場の建設だった。先の大戦の空爆で破壊され、1963年に再建されている。内部を見たかったけれど、先を急いで断念。


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