2013年4月3日水曜日

7月26日(木)チロル独立の古戦場ベルクイーゼルへ

午前中、バスを利用して10分ほどのベルクイーゼルへ出かける。
インスブルックの街の背後に広がるノルテケッテ、シュトゥーバイタール、パッチャーコーフェルを望む絶好のスポット展望台があり、観光客が群がって順番待ちをしている。その先に、ホーファー(1767〜1810)の墓地と銅像があって、特別な場所になっている。

ホーファーにまつわる歴史は・・・。
およそ200年前、ナポレオン1世はヨーロッパ支配を目論み、フランス軍を率いてオーストリアへ侵入。チロルに隣接するバイエルンは早々とナポレオン1世に協力し、その功績で、チロル地方統治を任せられた。

それに対してチロル人は反抗し、ホーファーの指導で、1809年に蜂起。多勢に無勢ながらチロルはベルクイーゼルでの2回の戦いに勝ったのだ。
シェーンブルンの和解後もバイエルンの支配は続き、戦いが再燃。ホーファーは捕虜となった。手を焼かせるチロル人憎しから、ナポレオン1世はホーファーの処刑を命じ、1810年2月20日に銃殺された。チロルの農民は、闇夜を利用して葬られた遺体を掘りおこし、ベルクイーゼルに運び、手厚く埋葬した。
ナポレオン1世が失脚すると、ベルクイーゼルにフランス軍が残した大砲を利用してホーファーの銅像が造られて、墓地に立てられた。

登り下りのある小さな山を望み、茂みを歩きながら、ホーファーはチロル独立の英雄であり、ベルクイーゼルの丘は独立の古戦場である謂われを知った。
最上階の喫茶室で360度のパノラマを眺めながら、メレンゲコーヒーで一休み。

古戦場のベルクイーゼルには、スキージャンプ台がつくられて、各種の国際的なスキー競技が開催されている。インスブルックで開催された冬季オリンピック(1954年と1972年の2回)の舞台にもなっている。ジャンプ台の銘板に優勝した選手の名前が刻まれ、1972年のオリンピックで活躍した日本の笠井選手の名前を見つけた。

ジャンプ台斜面の草原で、グラスファイバー・スキーをしている数人は、スキー愛好者か、冬に備えての選手のトレーニングなのか。観客席に座って、興味深く眺めた。

余談。ベルクイーゼルの丘を歩いている途中で、メモをとる紙がないのに気づいた。旅の習慣で、説明や感想を書きつける大切な紙切れだ。周囲を見渡したがない。
一回り観光した後も諦めきれず、未練がましく、途中にあるゴミ箱の全てを、ときにはゴミを動かして確かめながら下った。そして、出口近くのゴミ箱を覗いたとき、あった!
大事な紙切れは無事に戻ったが、ゴミ箱を覗き漁る姿は奇異なものだったろうと赤面し、同時に、紙切れを拾ってゴミ箱に収める人がいることに感心した。

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