2012年10月27日土曜日

7月8日(日) アッヘンゼーの遊覧船




・・・【遊覧船の後尾デッキ、旗はオーストリアの国旗】

アルプスの厳しい山が迫っている湖岸。崖の襞に残雪が点在しているし、崖に刻まれたハイキング用の道に人影が見える。岸辺には樹木が繁っているのに、遠望する山々は、岩が切り立っている。アルプスの景観を身近に眺めながら、アッヘンゼーの自然を楽しむ遊覧だった。

流れる雲の動きにつれて太陽の輝きが変化し、エメラルドグリーンの湖水の色が濃くなったり、淡くなったり。波が高い。輝く航跡と砕け散る波頭。その微妙な変化の美しさ。
たくさんのヨットが群がっている。そこから飛び込んで泳ぐ人たち。パラグライダーに引かれたボートがスピードをあげている。
遊覧船は、湖岸のわずかな平地にできた村に接岸しながら、北上していく。

乗船して半時間あまり、私たちは湖最北にある少し大きな町・ショラスティカで下船した。桟橋近くに、アッヘンゼーを一部取り込んだ巨大なプールのような人工湖があって、公園になっている。人工湖は水温が高いのだろう。たくさんの子どもや若者が賑やかに水に戯れ、そばのベンチでは大人が日光浴をしている。肖像を刻んだモニュメントに、溺れて亡くなった人を偲んだ記録がある。

湖岸の遊歩道を辿ると村の中心部に出た。ホテルやカフェが並び、お土産屋が誘いの声をあげて賑やかだ。
日に焼けたおじさん(経営者)が、湖で漁をして魚料理を提供するレストラン「Fisher WIRD」で昼食。アッヘンゼー育ちの鱒のグリルは日本の焼魚に似ていて、「醤油があればね〜」と言いながら食べた。とても美味しかったが、ボリュームがあり過ぎて持て余した。もったいない。日本人の胃袋は小さい。

食後、再び遊覧船に乗って、ガルスルム、ペルティサウの村にそれぞれ寄港・下船した。湖岸の村は、教会を中心にした広場や建造物から、共同体の歴史の違いがあることを感じた。

陽気な活気に満ちた通りを辿り、歩き疲れてカフェに座りこんだ。アイスクリームをなめながら歩いている観光客。カフェ近くの斜面の草を刈っている男。対象的な姿を眺めながら、アルプス山脈に抱かれ、アッヘンゼーを庭とする人々の暮らしを思った。
雪に閉ざされる村は、冬の生活環境が厳しい。11月から4月末まではアッヘンゼーバーンも運行を休止する。観光客は訪れず、住民だけの暮らしになる。活気に満ちる季節は夏。村人の多くが観光客相手の仕事をし、家畜の餌にする牧草刈りをし、とても忙しい。チロルの人々の勤勉さを感じた。

帰路はハプニングの連続だった。行きはよいよい、帰りはこわい。
「イェンバッハに戻る汽車は指定席ですから、時間に間に合えば大丈夫ですよ」と言われていた。ところが指定席とされた場所に行くと、すでに団体が座って満席だった。予約の連絡がどこかで途絶えて、ダブルブッキングだった。これに乗らないと、乗り換えの列車に間に合わない。結局、連結部分の荷物置き場に詰め込まれて立った。これがハプニングのひとつ。

イェンバッハで乗り換えた列車は、ミュンヘン始発でインスブルック経由のヴェローナ行の長距離列車で、乗り込んだときにはすでに満席だった。うろうろと車両を移動しながら座席を探したが、結局、コンパートメント外側の通路にある簡易椅子を引っ張り出して座った。まさか、座れないほど混雑する特急列車だとは!
インスブルックが近づくとホッとした。これもハプニングだろう。

目の前のコンパートメントには、ミュンヘンに遊びに行ったというイタリア人高校生6人連れが占め、好奇心丸出しで扉を開けっ放しにしていた。目をクリクリした剽軽な男生徒が話しかけてきて、サービス旺盛なイタリア男性だと感心したし、奥に座っている男女が二人の世界に没頭してイチャつき、濃厚なキッスを延々と演じていた。女性の濃いお化粧と開放的な服装は、日本でも見られる姿だ。夏休みを謳歌している若者は万国共通だと思うのは、高齢者の冷めた観察か。

オーストリア・アルプスを楽しんだ1日は、いろんなことがあって、心身共にお疲れさまでした! やれやれ!

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