2013年3月12日火曜日

7月23日(月)リュフィコプス展望台で

5時半起床。
空は快晴だが、山には朝霧が深く漂っている。夫は写真を撮るために早々と出かけ、1時間以上、周囲を歩いて戻ってきた。

レッヒの中心部は標高1444メートルだけれど、オーバーレッヒは丘の中腹にある集落で、標高1750メートル。ロープウエイで下に降り、昨日出かけたリュフィコプス展望台へのぼった。

雲ひとつない快晴で、周囲の広がりが素晴らしい。展望台の東西南北のパネルには、連なる山々の高さと形が書かれ、その間に、パリ、モスクワ、東京、ニューヨークなどの大都会の方角が刻まれている。山と都市の名前を確かめていると、意外に世界の広がりが親近感をもたらすから不思議だ。

そんな感慨にふけっているとき、10歳前後の小学生のグループがやって来た。
先生が山の名前を言いながら指差し、生徒はパネルに書かれた標高を確かめながら眺めている。
そのうち、「東京って書いてあるよ」と声を上げた男の子に、「日本の首都だよ」と先生が話している。
先生の近くでその様子を眺めていたから、やり取りを耳にし、ちょっと会話に加わりたくなった。「私は東京で生まれて、近くの県に住んでいます。レッヒには観光で訪れましたよ」と言うと、先生は「そりゃあ、ラッキーだ。東京はどんな都会ですか?」と、逆にいろいろ質問されてしまった。

日本の政治の中心都市で人口が多いこと、日本各地と鉄道や飛行機で通じ、都内では地下鉄の路線も多くて、交通網が整備されていること、気候が温暖で四季の変化があること、文化・娯楽などの楽しみが多いことなどを話す。
先生は生徒にドイツ語で話し、生徒からの質問を私に英語で聞き、通訳している。
臨機応変に学習をする機会をつくる先生の様子に感心し、昔の経験が役立って協力することができたけれど、好奇心が強くてお節介をしたのは、冷や汗ものになった。

12時45分、山麓駅前広場に集合。
ホテル「アールベルク」の庭で、揃って昼食した。ダイアナ妃がご愛用だったレストランだとか。クラブ・サンドイッチを注文。ラドラーとビールも忘れない。

アールベルクは、レッヒ川を挟んで村のメインストリートに面している。川のせせらぎを聞きながら、周囲の山並みにすっぽり囲まれた木陰の2時間は、至福のひとときだった。

特に、インスブルック滞在の旅で、地元の若い旅行社社長であり、企画・案内を担当したモラスさんと、個人的な雑談をした。
母親が東京のオーストリア大使館に勤務していたので、オーストリア人と結婚した。いろいろあったけれど、幼い頃からオーストリアで暮らしている・・・。
このときの話でモラスさんは35歳だと知った。若い。外国で育った青年には、ときに日本の同世代よりも礼儀正しく、成熟していると感じることがある。モラスさんもそういったひとりだった。
滞在の日が経つにつれ、私たち夫婦は何度も言ったものだ。
「日本の旅行社の企画だけれど、モラスさんのゆき届いた素晴らしい気配りあってこその旅だと思う。インスブルック滞在の大半は、モラスさん抜きでは、こんなに満足しなかっただろう」と。

3時発の「ランゲン行」のポスト・バスに乗車したが、入口の発券機が故障している。運転手が「乗りなさい」と手を振り、全員無料になった。のんびりしたものだ。
3時25分着。ランゲン・アム・アールベルクですぐに乗り換えて、3時30分発の
ウイーン行特急列車に乗った。5時頃、インスブルック駅帰着。

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