2012年3月31日土曜日

(補足1)アラブ首長国連邦(United Arab Emirates、略して UAE)について

1971年に、七つの首長国(アブダビ、ドバイ、シャルージャ、アジマン、ウム・アル・カイワン、フジャイラ、ラス・アル・ハイマ)が集まって、連邦国家となったのがUAEで、国家としての歴史は40年余。北海道と同じくらいの面積に、およそ480万人が住む。アラビア半島の地図を眺めると、アラビア湾の入口に面する小さな国家だ。

建国以前から、政治と宗教の権力を握った一族が、各地で首長として支配していたし、連邦国家成立後も、地方政治の中核になっている。各首長国では、首長の人格、採掘される石油資源や漁業・貿易などの経済力、近隣諸国との外交など、首長支配の内容は多彩だ。

UAEの大統領は、各首長国の王族の選挙で選ばれ、建国以来、アブダビとドバイの首長が大統領に就任している。絶対君主制の政治だが、大統領としての識見に優れ、国民が抱く尊敬の気持ちは、ただ事ではないという感じがする。人々が大統領や各首長に寄せる信頼は、非常に大きい。チュニジアやエジプトの独裁的な政権が倒れた「アラブの春」。その余波の動きが未だ吹き荒ぶ中東諸国のなかで、UAEの存在感や繁栄・安定の鍵は、国民の政治への心情からだと、痛感する。

中でも、ドバイでは、「ドバイ建設の父」として、現在も多くの人々に崇められているシェイク・ラシッド(在位1958〜1990)が、首長時代に、国家の発展には経済が重要と石油採掘事業を奨め、1966年に石油が発見されると、石油資源に頼らない経済政策を打ち出すなど、先見の明で、新たな経済成長を生み出した。一方、彼は「ドバイ博物館」を整え、ドバイの歴史と近代以前の生活の姿を保存している。

息子のシェイク・マホメットはイギリスの大学に学び、父親をたすけて活躍する。1976年のUAE軍隊の創設。軍隊は相ついで平和維持軍として参加している(レバノン1976年、ソマリア1993年、コソボ1999年)。
また、1985年にはエミレーツ航空を創設し、ドバイを人や物の世界の輸送拠点にした。ドバイの象徴的な開発の数々は、父親をたすけた現首長のシェイク・マホメットの大英断だと言われている。2004年に、ヨルダンの故フセイン国王の娘と結婚。ヨルダン王家との協力関係を深める戦略的目標だとか。
ドバイはUAEのモデルと位置づけられ、発展の道を続けている。

ついでに、UAEのガイドについて補足
クルーズの旅は、UAEのドバイで乗船し、アブダビ、フジャイラの順に寄港して始まった。乗客が船でまどろんでいる間に、ドバイに住む日本人女性のガイドが、観光バスの運転手と共に、長い陸路を走って寄港地に駆けつけ、ガイドをつとめた。

ドバイ空港で待っていたガイドは、民族衣装の黒のアばヤを着ていた。次第に彼女がイスラム教徒だとわかった。彼女は、日本でアラビア語を学び、ブルネイの旅行会社に就職。6年働いた後、その会社がドバイに進出し、そこで夫となる人に出会って結婚。以来10年、ずっと働いている。夫がイスラム教徒で、結婚を機にイスラム信者になった。夫の家族と一緒に住み、「結婚後に女性が続けて外で働くのは珍しい。最近は変化しているけれど・・・」と言いながら、イスラム教の習慣、家族関係など、日常生活を話し、面白かった。

今回の旅ではたくさんのガイドに会ったが、共通していたのは、自分の国のことを深く知ってもらいたい、という熱意に溢れていたことだ。良い意味での愛国者だった。歴史や地理の学識だけでなく、自分と祖国の置かれた立場を、現在の世界のなかで客観的に理解しようとしていた。それに、自分が住んでいる土地の、現実的な生活者だ。少々不躾な質問にも、その趣旨を理解して、正直に答えてくれた。職業的な外交官以上に、優れた民間外交官だった。
はじめて訪れた中東世界・イスラム圏が、それまでの知識を超えた世界として実感できたのは、こうしたガイドのお陰だ。他のガイドについては、旅と共に紹介したい。
以上。

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