2012年3月31日土曜日

コールファガン寄港、フジャイラ観光




【コールファガン港。ここはアジアと中東の中継貿易の拠点の一つ。
手前に並ぶのは、クルーズ客の観光のため待機しているバス】

3月24日(木) 5日目

昨夕6時頃アブダビ港を離れ、 早朝、ホルムズ海峡を抜けてオマーン湾へ。
UAE最後の寄港地フジャイラへ寄港する予定だったが、なにか事情があるらしく、すぐ近くのシャルジャ首長国のコールファガン港に変更になった。

バルコニーからコールファガン港接岸の様子や、港の風景を眺めながら、上陸を待つ。港の背後に山が迫り、物流の拠点として恵まれた条件の港らしい。貨物船が繋留され、大きなコンテナがどんどん陸揚げされている。積み上げられたコンテナは、直ぐにクレーンで持ち上げられてレールに置かれ、遠くの倉庫へ吸い込まれて行く。効率的な作業の様子が面白かった。

10時近くに上陸。港湾の警備や管理の都合で、一般車の走行が制限され、近くの駐車場に待つ観光バスまでは、シャトルバスに乗る。

日差しが強く、砂埃が舞い上がって、前方の風景が霞んでいる。そんな中、三々五々、登校中の子ども達が群れながら、戯れている。遅い登校だ。
ドバイのヘリテージビレッジで見た黒いマスクは、アブダビの高齢女性が日除けと砂塵除けに今も使い、乾き切った街の風景とマスクが結びつく。若い人はスタイルを気にして敬遠するらしい。

道路に並行して用水路が続き、水が流れている。
沿道には、船で運ばれて来た輸入品の果物を売るテントが並んでいる。
観光の目的地へ向かう途中、ガイドの車中講座は楽しい。「死者は土葬されるが、その後のお墓参りはしない」など、最近の生活の様子も紹介されて、興味深い。
死んでしまえば、すべてが終わりか・・・。

「フジャイラ博物館」へ。古くからバーレーンを起点に発展した文明の史跡や、紀元前の古墳の出土品が展示されている。この地方にはアラブ系の住民が多いという。

生命を拒否するような岩山が連なる道路を走り、修復された16世紀建造のフジャイラ砦、UAE最古の土造りのバディア・モスクへ。モスクの背後には、アラビア湾の沿岸警備と、重要な食料のナツメヤシの盗難を監視する見張り塔がある。

しばらく走ると、鮮やかなブーゲンビリアが咲き誇り、青々とした芝生のある住宅が現れ、再び乾燥の舞台に戻って行く。その差があまりにも大きい。人の手によってもたらされる水が、生きものの生命線となっていると、痛感する。

昼食はJAL Hotelのレストランで。午前中に触れたフジャイラとは、別世界だ。入口に、サメのモニュメントがある。この辺りの海では、ごく普通に獲れる魚だとか。ビュッフェ形式の食事に、だいぶ慣れてきた。ビールを頼んだら、小グラス一杯が9ユーロ(約1200円位)、東京のレストランよりもかなり高い。
食後、ホテルから続くプライベート・ビーチへ散策し、ロシア人の家族連れで賑わっている空間を眺めながら、束の間、アラビア半島にいることを忘れた。

午後3時頃、船に帰る。
久しぶりにゆっくりとBBCテレビを観ていると、ニュースのトップは、福島原発事故関連を報じている。非常に深刻な状態が続いていること、横須賀基地のアメリカ海兵隊が、放射能の危険を避け国外へ撤去したこと、地震と津波の死者・行方不明者は2万5千人以上になることなど。相変わらず大きい余震があり、大変な状況が続いている。

成田を立って5日目の今日で、UAE観光のすべてが終わった。
夕食中の7時頃、次の寄港地マスカットへ向けて離岸。
連日の寄港・観光に、いささか疲れ、8時半頃、早々と、おやすみなさい。

0 件のコメント:

コメントを投稿