2012年3月22日木曜日

ドバイの昔の暮しの知恵




【近代化以前のドバイの住居の室内】

ドバイ③ 3月21日午後

昼食後、ヘリテージヴィレッジ、バスタキア歴史保存地域へ向かう。

長い地下トンネルをくぐり抜けると、目の前の港に大型客船が停泊し、コスタ社のシンボルマークの黄色い煙突が見える。「もしかしたら、あの船に乗るんじゃない?」「そうなら大きいねえ」と話していると、「皆さんは、あの船に乗りますよ」との声。ルミノーザ号だ。

バスタキア地域は、元々、イランのバスタキアから来た人々が住み着いて地名になり、今でもイラン系のコミュニティがある。その一角に、ドバイが近代化する以前の建造物が保存され、庶民の暮らしの歴史遺産となっている。いつ頃から、誰が考えたのか、長い年月の生活の知恵が凝縮され、「こんな工夫をして暮らしてきた」と感心する。生きる知恵は素晴らしい。

ベドウインのテントで、3人の女性が料理のデモンストレーション中。出来上がった食べ物が売られている。彼女たちは、鳶のくちばしのような珍しい形の黒いマスクをしている。マスクと黒いベールを被った顔は、目だけが動き、ちょっと不気味だ。今では地方の老人だけに残るスタイルで、砂漠の砂塵を防ぐためだとか。
「日本の月光仮面や、カラストンビですなあ。これを見たら、子どもは真似して喜びますよ・・・」と感想が漏れる。
かんかん照りの太陽の下で、2人の男性が振舞うチャイを飲みながら、ハーブの仄かな香りの広がりを味わう。午後のこんな時間に訪れるのは、かなり酔狂と感じながら・・・。

次に訪れた「ドバイ博物館」は、元々、18世紀に造られた砦で、代々の首長が住んだ。先代の首長が「ドバイの歴史を保存するための博物館を」と改装に着手。砂漠生活の記憶が、具体的に時代ごとの品々で展示され、ドバイの歴史の変遷がわかって、面白い。

「ここに立ってみてください。涼しいでしょう」と博物館の案内人に言われ、順番に部屋の中央に立つ。 外気温はすでに50℃を超えて、ジリジリと干上がる感じだが、屋内は、”風の塔”からの風でそれほどの暑さではない。東西南北から吹く風が巧みに室内に取りこまれ、クーラーになっている。暑さと乾燥を防ぐ工夫が、ナツメヤシで造られた家の随所に見える。誰が、どうやって、この仕組みを考えたのだろう。
部屋の隅の大きい甕。砦を守るために井戸を掘って汲みあげた水を入れ、汚れを濾して、冷していた。今は都市部では海水を浄化する施設ができ、水の確保は楽になったが、地方では未だに甕は現役だという。水を得ることが、生きるための知恵だったと痛感する。
壁いっぱいに、ギターの原型になった大小の楽器・ウルドが並んでいる。この音色に乗ったアラブのベリーダンスの風景が、浮かんでくる。所詮は、男性の楽しみのため?の楽器か。

外に出ると、 骨太の大きなダウ船が鎮座している。海外交易に活躍した名残だ。
ラクダが杭に繋がれて、恨めしげな上から目線で、通る人を見下ろしている。
意外だったのは、御木本幸吉が成功した養殖真珠で、ペルシャ湾の真珠を扱う漁師が打撃を受けたことだ。以前、この辺りの海では真珠産業が大きな収入源だったが、日本の真珠輸出に対抗できずに寂れたと知った。庭には真珠産業で使われていた道具が、無造作に置かれている。
展示品を眺めながら、その背後にあった暮らしと時代を知り、この辺りへの想像が広がって行く。博物館の良さを満喫した時間となった。

4時半ごろ、波止場へ。「コスタ・ルミノーザ号」は、思っていた以上の巨体だ。「あんまり大きいと、乗船中の冒険がいき渡らないなあ。ほどほどがよろしい」と言いながら、仰ぎ見る。乗船手続きをし、20日間の我が家となるキャビン「8377号室」にチェックイン。

すでに運ばれていたスーツケースを開くのは後回しにして、カメラとビール缶を持って、バルコニーへ出る。両隣りの夫婦がデッキの手すりに寄りかかって、ビールを飲んでいる。目が合うとお互いに缶をあげて、「チュース」「チャオ」「カンパーイ」と、挨拶。夕陽に輝く小さな波。目の前に群がるカモメたち。急ぎ足で搭乗口へ歩く人々。クルーズへの期待が膨らんで来る。

初日から盛り沢山の観光で、ほんとうに長〜い1日だった。
夕食後、これから過ごす部屋の設営をして、早めに就寝。

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