2012年3月10日土曜日

3月11日、東日本大震災発生

地震と大津波、東京電力の福島原子力発電所の想像を絶する事故。
水戸のわが家は家屋倒壊こそ免れたが、棚から飛び出した書籍や食器が散乱し、ガラスの破片を避けて靴を履いたままの生活になった。地下室に保存していたアルコール類やその他の瓶などが壊れ、液体が床一面を覆った。停電・断水・ガスの供給ストップに加え、当たり前であった日常生活が狂った。海賊だのと暢気に話していたことは吹っ飛んでしまい、旅行どころではなくなった。

強い余震が連日続き、その度に食卓の下に潜った。ゴチャゴチャ状態の家を片付ける気力も失せた毎日。食料がない。ガソリンがない。物不足で行列に並んだ戦後の記憶が蘇った。文明社会の暮らしが、如何に脆いかを嘆きながら、生命がありさえすれば、”なんとかなるだろう”という考えが、”なんとかしなくては”と変わった。

不安が募るそんな状況のときに、旅行社からクルーズの最終的な連絡があった。
刻々と報じられる被災地の惨状、亡くなった人々、生活基盤を根こそぎ失った被災者を思うと、気持ちは複雑に揺れた。一方で、クルーズに出かければ、当面の食べ物の心配がなく、ありがたいとも思った。

冒頭に、”得難い旅となった”と書き出したのは、こうした状態で旅立ったからだ。「喜寿記念」が「日本脱出」へと変わった。

気持ちの底に得体のしれない不安を抱えながら、束の間、日本の現実から逃れ、「竜宮城の浦島太郎」よろしく、クルーズを楽しんだ。共に過ごした外国人との語らいから、日本の大災害の姿を客観的に見直す機会ともなったのだ。

以下は、2011年という記憶に残る年の、得難い記念の旅の記録である。



-- iPadから送信

0 件のコメント:

コメントを投稿