2012年3月28日水曜日

イスラムの法学者の役割




【黒いアバヤを着たツアー仲間】


アブダビ② 3月23日(水)

ところで、モスクへの入場で、面白い経験をした。
女性は、観光客といえども、アバヤとシェーラを着ないと、モスクには入場できない。モスク出入口から少し外れた一角に、貸出の衣装が山積みされ、係りの女性が体格を一瞥しながら、サイズを選んで渡している。興味津々、イスラム教徒になる気分で黒の衣装を着たが、小柄の身だから裾を引きずる。係りが笑いながら布の紐を差し出したので腰の辺りをたくし上げ、やっと様になる。大騒ぎしながら、黒いアバヤを着て黒いシェーラを被ると、ツアー仲間の女性たちが美しく見えるような気がし、揃って美人になった? イスラム社会では、宗教上、人物写真の撮影を禁止し、被写体になることも嫌う。モスク内で記念写真を撮るのも憚かられるから、入口を入ったすぐの場所で、パチリ!

黒いアバヤを着ているガイドのTさんが、真面目な表情で説明する。「男性は弱い者だから、欲望を刺激しないために、女性は肌も髪の毛も隠すのです」。さらに、「イスラムでは、男性は女性に優しいのですよ」と。それでいて、「男性は女性を守るための権威があり、男の子は4歳位から女性に対して、命令します」とも言う。
優しいだの、命令するだの、なんだか矛盾しているなと思いながら、果たして、弱いのは、男性か女性かと、考えてしまう。

イスラム教を啓いたモハメットは、聖戦で多くの男性が亡くなり、遺された未亡人・子どもの面倒は、生きている男性の共同責任とした。それが4人の妻帯を肯定する根拠だと、聞いたことがある。イスラム世界では、コーランに女性の服装の記述があり、それに従がう厳格な宗派では、女性がブルカやアバヤを着なければならないが、一方では、欧米化が進んだトルコの女性は、そんな規制から開放されている。

イスラム教の内実は馴染みがないし、よくはわからない。
現代の日本人の立場からすれば、イスラム圏では、政治・宗教・生活が一体化して、男性優位の社会だと思うのだが・・・。いまだに、女性の社会的役割が制限されるのも、女性を護るイスラムの教えという。

帰国直後、飯塚正人氏が語る「イスラム教がわかれば世界が見える」(文藝春秋2011年5月号 440〜446ページ)を読んだ。そこで法学者の役割を知り、旅の間不思議に感じていたことは、「これだ」と納得し、面白かった。

イスラム教は、「コーラン」を拠り所にして、人間の弱さを容認している。
さらに「ハディース」で、預言者マホメットが話したこと、行ったことが、全て神の意思だと解釈する。それは法学者が現実的に判断し、一般の信者の生活規範になる大事なものだと。そうであれば、法学者の資質・性格・野心・政治との関わりなどで、解釈の幅は、時代や環境でかなり違ってくる。近代化の進む社会でも、原理主義を貫く宗派は、「ハディース」の解釈は厳しいと知った。イスラム教に対して、異教徒が感じるわかりにくさは、法学者の存在にあるらしいと、少し理解できた。

飯塚正人氏が余談として、女性の被り物について書いている。「中東の男性は、女性の髪の毛に猛烈に興奮するようだ。だから、髪の毛を隠すようになったという説が有力だ」と。隠せば隠すほどに、興味が増すのではないかと、笑ってしまった。

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