2014年11月3日月曜日

[NYへの旅] 11.人間関係の拡がりを実感した日

4日目  3月19日(火)その4 

9時過ぎなのに、まだ陽が差している。帰路、ヒルダガードはドライブしながら、訪問した背景を補った。
「マルゴーは、生まれつきの性格もあるし、自分の年齢なんて考えていない人ね。若いときから、関心のあることに突き進む情熱家だったようよ。結婚したのも、そう・・・」と、マルゴーがフランクと結婚するに至った話をした。

フランク・ロス(1898〜1992)は、北ドイツのフランクフルト生まれのユダヤ系ドイツ人だ。1935年、画の勉強のためにイタリアへ出かけた。ちょうどナチス・ヒットラーの勢力が拡大していた時代で、彼はドイツに戻るのは危ないと判断。1937年7月、イタリアからアメリカ・ニューヨークへ向かった。しばらくして、美術に関心を持つ画学生のマルゴーに出会った。
「若いマルゴーがフランクに夢中になって、結婚したと聞いたわ彼女は、16歳の年齢差なんて考えなかったのね。マルゴーらしい」とヒルダガードは呟き、続けた。

「あなた達に、フランクフルトで開催されたフランクの展覧会の案内を出したけれど、覚えている? フランクのことは知っているはずよ」。
「そんなこと、あったっけ?」。
懸命に記憶を辿ったが、思い出せなかった。帰国後、1988年5月5日付で、ヒルダガードからの手紙を見つけた。
「・・・、あなた達が、もしヨーロッパを訪れる機会があったら、フランクフルトの展覧会へぜひ招待したい」とあり、同封された図録には、開催の中心になったヒルダガードの名前があった。

その頃、フランクフルトの歴史美術館(HISTORISCHES MUSEUM FRNKFURT AM MAIN)では、一人づつフランクフルト生まれの画家を取り上げるシリーズ展を開催していたが、フランク・ロスの名はなかった。彼はアメリカで活躍していた画家でフランクフルト生まれだヒルダガードがそのことを美術館に指摘すると「美術館では把握できていない部分があった。あなたが全面的に企画するなら・・・・」と追加決定をしたのだ。
今回の滞在中に、その実現に至る裏話を聞き、改めてヒルダガードが学芸員としてどんな活動をしているか、地区の図書館だけでなく、国境を超えての役割や仕事があることも理解した。

フランクの年譜を眺めると、1942年「Portrait  Margot」、翌1943年には「Baby」を描いている。フランクがマルゴーと結婚したのは、第二次世界大戦開戦まもなく。妻と幼子を描いたフランクは、心身ともに安定した様子をうかがわせている。
こうして、フランクとヒルダガードは、フランクフルトの美術展を舞台にして関わり、マルゴーに繋がっていく。

余談だが、フランクフルト在住の画家ラルフが、美術展でヒルダガードに協力している。彼は後にドレスデンに引っ越した。

2007年春、私たちはエッツエンロート(ドイツ)のヒルダガードの家に1ヶ月滞在した。彼女は父親からの遺産として家を引き継ぎ、年に2回は里帰りして家のメインテナンスをしていたので、それに合わせて訪問。一緒にドレスデンやライプチッヒ方面へ旅をしたのだが、ラルフがドレスデン案内をしてくれたのだ。
彼とは、その後クリスマスカードを通しての繋がりが続き、ときにはラルフの個展の案内状が送られて来る。

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