2014年11月2日日曜日

[NYへの旅 ] 7  地区の図書館とスティーブ家のパーティへ


3日目   3月18日(月)

ヒルダガードは、午前中(10時から12時半)図書館勤務の日。一緒に出かけて図書館活動を見学することにした。

先ず、コンピューター・ラウンジに座って、持参のパソコンで日本向けのメールをいくつか書き、その後、開放的な明るい館内を探検?。

玄関付近の壁に絵が並んでいる。色彩が溢れる抽象的な絵で、色彩感覚を重視しているらしい。「さっぱりわからん」と言いながら掲示を読むと、「NORTH SHOREの公共図書館の友人、FRAN ROBERTSの最近の作品」とあり、 さらに説明を読むと、Curator=学芸員はヒルダガード  クルーガーとある。彼女がしている仕事の内容を、ちょっと理解できた気分になる。

1階は開架式のコーナーで、専門的な書籍は地下の棚に並んでいる。ちらほらと人影が見える。図書館の隣りにある高校は授業中だが、調べ物をする生徒が書架を覗き、分厚い書物を借り出している。

廊下に沿っていくつかの小部屋があり、読書会をする場所になっている。
”Young Mother's Room”と掲示してある部屋を覗くと、オモチャや可愛い絵が溢れ、幼い子どもが遊んでいる。その傍らで、数人の女性が読書会中。午前中は、こうした子ども連れが多く、図書館を身近に利用し、交流の場になっている。

以前、ヒルダガードから聞いたことを思い出す。
地区住民が、教育や図書館への関心が高いこと、そのための意識が大きいこと、幼い頃から図書館に慣れる教育が大事なことが、結果的に賜物になっているのだろう。素晴らしいし、羨ましい。
因みに、アメリカの住民税は、学校予算の多寡に関係している。所得の多い住民が住む地区は、教育予算が豊かになる構造だ。教育に関心がある家庭は、豊かな住宅地に家を構える。

瞬く間に時間が経ち、帰宅後に遅い昼食。今晩は、スティーブ宅のディナーに招かれているし、まだ時差に悩まされている。滅多にしない昼寝をして元気回復。

スティーブは、夫が留学した頃(1974〜76年)、ポスト・ドクターとして同じ研究室にいた。彼はフランスのパリに留学中に出会ったフランス人の女性と結婚し、新婚ホヤホヤだった。夫人モニークは三島由紀夫が大好きで、寝室に三島のボディビルのポスターを貼っているので有名だった。初めて彼の自宅に招かれたとき、日本人だからとわざわざ寝室へ案内され、天井を見上げたときの強烈な驚きが忘れられない。

そして現在はスウェーデン系のアメリカ人の夫人だ。離婚後、スティーブが育ったコネチカット州の両親の家(実家)を訪れたときに、隣人として知っていた料理が好きなアニカと意気投合したと言う。
数年前の初冬、スティーブ夫妻が日本観光に訪れたときに、私たちは現夫人と初めて会った。新宿の花園神社の酉の市や合羽橋の道具街に案内した。料理好きの夫人は特に合羽橋の道具街が大層気に入り、翌日、お土産の物色に出かけている。

私たちはスティーブの前・現の2人の夫人ともよく知っているので、夫も私も気を遣うが、ご本人はアッケラカンと話題にする。夫人がどんな気持ちで話を聞いているのだろう。
また、スティーブはヒルダガードのカヌー仲間で、カヌー小屋を共有している。「早く暖かくなるといいね・・・」と、夏の季節への期待に、目を輝かせる。現役を退いた彼の風貌は、深い皺が刻まれて、想像以上に老人に見える。

あまり食べたことのない料理が供された。メニューを以下に。
  人参・玉ねぎのみじん切りを炒めたオレンジ味のスープ。
  野菜サラダ。
  いろんなハーブで味付けしたラムステーキ。(私は、ラムは苦手!)
  茹でたアスパラガスにクスクスを添えて。
  デザートはアイスクリームに果物類。
  ワインや、コーヒーも。

食後、かつての研究仲間の消息を話した。
誰それは亡くなった。退職後に、ロングアイランドを離れて引っ越した人が多く、寂しくなった。研究室で盛んだったテニスのトーナメントの今年の優勝者は誰だったか。云々。雑談で盛り上がり、あっという間に年月が過ぎたことを実感した。

訪れる頃には曇天だったのに、何時の間にか大雪になり、激しく降っていた。スピードを出すヒルダガードが、「あなたたちを乗せているから・・・」と慎重に運転するのがおかしい。自宅近くまで来たとき、ヘッドランプに浮かび上がる数頭の鹿の群れを見た。

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