2014年11月12日水曜日

[NYへの旅] 18.マルゴーの100歳誕生パーティー

8日目  3月23日(土)

昨夜は遅くなって、「朝食は9時にしましょう」と言いながら寝たのに、5時前に目覚めた。「2時間ちょっとしか寝ていない。二度寝は危ないし・・・」とブツブツ言いながら、起きだす。シャワーを浴び、メールをチェックし、大まかに荷物のパッキングも済ませた。マルゴーの100歳誕生パーティに出席して、明日はニューヨークへ移動する予定だ。「速かった・・・」と、数日の出来事を振り返る。

トーマスとフェイも誕生パーティに参加することになり、彼らをピックアップするために、1時にクラウディア夫妻と落ちあった。
夫のフィリップは、ヒルダガードの家の増改築をした建築家。妻のクラウディアは、私たちがケネディ国際空港に到着したときに迎えてくれ、ヒルダガード宅までドライブしてくれた。そのことは、すでに書いた(NYへの旅  3 参照)。

マルゴーの100歳の誕生パーティを企画・主催し、招待状を出したのは、クリーブランドに住んでいる長女ボニー・ペトラスとその家族だ。マルゴーには2人の娘がいたが、次女は若くして(23歳で)亡くなっている。

会場はポートジェファーソンの高台にあるクラブハウスで、目の前一面に海が広がっている。車を降りると、外には強い風が吹いていた。吹き飛ばされそうになって思わず近くのテラスの柱にしがみつく。白波が高く立ち、対岸のコネチカット州がクッキリと見える。4日前に、マルゴーの家を訪れたときの佇まいを思い出した。
ロングアイランドの北側の海辺は、海の幸と豊かな自然を抱え、人の暮らしに最上の恩恵をもたらして来た。ここに住み着いた人々の苦難の歴史は、同時に贅沢な環境を満喫している人々を育てて来たのだと・・・。

始まりの時間の30分ほど前から、次々に招待客が増えて、マルゴーに挨拶。
彼女は、子どもひとり、孫4人、曽孫6人、お腹に待機中の曽曽孫もひとりに加え、彼らが結婚したパートナーを含めた大勢の家族に囲まれている。上下共に黒いパンツ姿で、大ぶりのネックレース。背筋がピンと伸びているので、とうてい100歳の誕生日を祝う人とは感じさせない。やがて、会場を歩きながら友人・知人と賑やかに談笑し、エネルギッシュな振る舞いが眩しい。

部屋の一隅に、マルゴーの年代を追った写真が展示されている。幼い日々。後に夫になったロスと友人が揃う画学生時代。娘を抱く若い母親の姿。ヨーロッパ各地で華やいでいる壮年時代の姿には、キャリア・ウーマンの自信が見える。
美しく、負けん気のにじみ出る写真に、そのまま現在に続く姿を発見し、「写真は真実を写し出しているのだから、当然だ」と面白がる。

最年長の孫が開会の挨拶をし、続いて孫や曽孫が一言ずつメッセージをご披露。
あらかじめ準備・練習をしていたらしく、必死に話すのが愛らしい。小さい曽孫が、途中で忘れたのか、シドロモドロになって親が助け舟を出し、会場の笑いを誘った。

多彩な人たちがビュッフェ料理を手に、動き回っている。立ち話をしたり、テーブルを囲んだり。
夫と私は丸いテーブルに座り、10人ほどの同席者と歓談。ひとしきり話した後、「あなたは、高校の先生をしていましたね・・・?」と問いかけたのは、ニューヨーク市にある高校の校長先生だった。
「あら、どうしてわかりますの?」と聞き返すと、「あなたの話し方で雰囲気を感じましたよ・・・」とニヤリ。万国共通の職業柄のタイプがあるのかしらん。

「やー、ジャッジマン、お元気ですか?」。
「ジャッジマン、最近はどうしていますか?」。
「ジャッジマン、オペラを楽しんでいますか?」。
「ジャッジマン・・・」と次々に声をかけられている男性が、同じテーブルにいる。ジャッジマンという名前か渾名だろうかと訝っていると、近くに座っている人が「去年までニューヨーク市の判事をしていた人よ」と教えてくれる。ご本人は「21年間市の判事の仕事をしましたよ。現在は弁護士です」と話す。

オペラ好きが揃っていたらしく、個々の歌手の評価や演目の感想を話題にする。
私たちが日本からの旅人だとわかると、「ニューヨークに行ったら、ぜひ出かけたらいい」と、いくつかの観光スポットを紹介してくれたし、地震・津波と原子力施設の問題も話題になった。

食事が終わり、記念写真を撮る頃から、それまで比較的おとなしくしていた曽孫たちが本来の姿を見せ始め、超活動的になった。マルゴーのDNA!だろうか。
ひとりが「倒れて・・・」と声をあげると、揃って床に倒れこむ。倒れるのがビリになると、声かけの順になる。日本の「ダルマさんが転んだ」というゲームと同じだ。
そのうち、会場を運動場にして走り回りはじめ、テーブルの下に潜り込む子もいる。親が写真を撮ろうとしても、全員が揃わず、言うことを聞かない。
パーティー開始から3時間経っているから、子どもにはおとなしくする限界だったのだろう。それにしても、ちょっと羽目の外し過ぎだ。
その様子を眺めながら、ジャッジマン氏は、昨年開催した母親の誕生会の様子を披露する。「こういう何世代もの年齢差をまとめるパーティは、想像以上にたいへんなんですよ。特に、子どもには・・・」。

老齢の婦人から「あなたの息子のシンジを知っていますよ」と言われてびっくり。彼はフィラデルフィアにある大学院に留学中、感謝祭やクリスマスにはヒルダガード宅で過ごした。そのときに会ったと言うから、20年以上も前のことだ
「またお会いできましたね」と声をかけられて、「はて・・・?」と思い出そうと必死になったが、昨日のオペラ鑑賞で一緒だった。顔を覚えていないし、記憶も不確かになっている。
集まっている人々は、付き合う階層が共通している。40年近く前、アメリカで感じたコミュニティの一面を思い出し、「変わらないなあ」と感じた。

個性の強い女性が一世紀を生きてきた。その証を垣間見た誕生日パーティーは、得難い経験だった。

5時半過ぎに帰宅。
休息しながらパッキングし、その後、インターネットでミュージカルのチケットを1時間半も検索。26日夜の「Nice Work if You Can Get It」に決めた。ニューヨークのエンターテイメントはいろいろあるけれど、評判や人気のものはチケットの購入は難しく、代金のディスカウントもない。

9時半頃、「昼間のご馳走で満腹だけれど、少し食べましょうよ」と、やっと落ち着く。アルコール類・チーズ・パン、その他のつまみを居間のテーブルに並べ、ヒルダガード宅最後の夜を過ごす。
日本、ドイツやアメリカの「三つ子の魂百まで」とか「石の上にも百年(3年ではない)」などの諺を披露し合う。それぞれの国で、どんな場合に使われているか、諺が意味する国民性や人間性との関係など、議論が続いた。オードビーは魔物だと感じながら、いつまでも語り尽きない時間となった。

0 件のコメント:

コメントを投稿