2014年11月9日日曜日

[NYへの旅] 15.オペラ、グノー作曲「ファウスト」を観る

6日目  3月21日(木)その3  

オペラ「ファウスト」は、ゲーテの小説が原作で、グノーが作曲した。
フランス語のオペラの特色として、今回はバレーが挿入される内容であり、いくつかのアリアは、単独の曲として馴染みがある。グノーの曲に惹かれて、観賞することを決めたのだった。

ファウストとマルグリートの恋と悲劇の物語の内容はわかりやすい。
老学者ファウストが、晩年になって人生をかけた学問に失望している。そこへメフィストフェレス=悪魔が現れて、若さと引き換えに魂を渡すことをそそのかす。ファウストは、美しい娘のマルグリートの姿を追って若返りの薬を飲み、青春に戻る・・・。そして・・・。

7時半。膨らんだ袖のブラウスとベスト、ロングスカートに帽子をかぶったコロニアル・スタイル姿の女性が、開演を知らせる木琴を叩きながら通り過ぎた。
各階のロビーで開演を待っていた人たちは、客席に急ぐ。
間もなく、天井から下げられていたクリスタルの電灯がスルスルと上がり、その動きに交差するように、天井からふたつの爆弾が降りて来た。
夫が「原子爆弾だよ。右が広島に投下されたリトルボーイ、もうひとつが 長崎に投下されたファットマン ・・・」と囁く。

原子爆弾が置かれた舞台中央後方のスクリーンに、フイルムの映像がクローズアップされていく。白衣姿の研究者たちが話し合う場面、活気に溢れた実験室の様子。ヒットラーの演説、出征していく兵士の姿もある。やがて戦争の激化による悲惨な状況になり、原子爆弾の投下で灰燼に帰した広島の街となった。
静かに映像が消えると同時に、爆弾は天井に吸い込まれていった。20世紀前半の世界の動きをあっという間に紹介した導入部は、意表を突くものだった。

なるほど。今日のファウストは、ウラン利用を実用化した原子力研究の科学者で、それが原子爆弾製造につながった。彼の本意とは違って、第二次世界大戦末期に破壊的な威力を示した。原子爆弾投下には抵抗し、研究開発を後悔したが後の祭り。戦争指導者=メフィストフェレスに魂を売り渡した結果になったのだ。

終演近く、廃墟となった街の姿が映し出され、ふたつの爆弾が再びあらわれた。想像を絶する戦渦は、原子爆弾が悪魔の兵器となったことを示した。
「こんなはずではなかった」と、志とは異なる結果を悔やむ科学者の姿に、「ファウスト」の根源的な問題が描かれて、興味深かった。

演出はフランスのAlain Altinoglu、科学者ファウスト役はポーランド人Piotr Beczala(テノール)、メフィストフェレス役はカナダ人John Relyea(バス・バリトン)、マルグリート役はロシア人Marina Poplavskaya(ソプラノ)

特にマルグリートとメフィストフェレス役の歌唱は素晴らしく、歌い終わってからの拍手が長く続いた。中には、スタンドオベーションをする者もいて、舞台の演技途中、長い中断になった。

メトロポリタン・オペラは、登場人物といい、解釈といい、国境を超えた国際的な舞台だ。今も、シリアやアフガニスタンに手を焼くアメリカへの皮肉も感じた。

また、初演からの年月が重なっても、現代の社会問題を巧みに取り入れているオペラは、歌舞伎にも共通し、古めかしい印象はない。伝統に裏打ちされながら、観客に現在の時事問題を知らせているのだから、面白い。

私たちの席の前に、ドナルド・キーン氏とふたりの日本人が座っていた。
2度の中休みには、軽く会釈しお互いに意識したが、ニューヨークに来てまで追っかけ?をするのではと遠慮した。いつもなら、ミーハー的好奇心があるのだが。

11時半にバスに乗り、ロングアイランドに帰って来たのは夜半1時10分。
天気予報通りに夕方から雪になった。気温が氷点下5〜6度Cだから、駐車した車の屋根に積もった10センチほどの雪がコチコチに固まっている。スクレーパーでゴリゴリと掻き落とし、フロントガラスにお湯をかけた。
ヘッドライトに照らし出される林の中に、数頭の鹿がキョトンと車を見ている。「悪戯をする連中・・・」と、異口同音に呟やく。

自宅に帰り着いても、観劇の興奮納まらず。ヒルダガードは「眠り薬が必要ね」とウインクしながら、リキュールのグラスを並べた。
彼女は言う。「普通のアメリカ人には、原子爆弾が出てきた意味がわかっていたかしら。私も最初はわからなかった・・・」。
脚本・演出に込められた意図の理解は、観客次第ということだろう。
とりわけ第二次世界大戦を経験した人々は、人間が創り出した兵器の悪魔性を骨身に沁みて知っている。戦後が長くなるにつれ、それが次第に忘れられていくのが怖ろしい。

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